登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (1),(2),(4) |
登録年 | 2000年 |
ショーモン城は「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」の構成資産の一つ。ロワール川沿いにある中世の外観を持つ城で、所有者が変わる度に美しく改装されてきました。ところで、ショーモン城はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではショーモン城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ショーモン城について詳しくなること間違なし!
ショーモン城とは?
フランス西部のロワール=エ=シェール県に位置するロワール城は、起源は10世紀にまで遡るという古城。ここはフランス語で「禿げた丘」を意味していて、現在の城は15世紀に再建され、ルネサンス風の特徴も見られます。
1550年にアンリ2世の王妃であり、イタリア・フィレンツェのメディチ家から嫁いできたカトリーヌ・ド・メディシス(1519〜1589年)が所有すると、当時彼女が好んでいた占星術師が多く訪れるようになりました。しかし、1559年にアンリ2世の愛人のディアンヌ・ド・ボワチエに強制的に譲るものの、ポワチエは短期間しか暮らしませんでした。その後、貴族や富豪によって所有者が変わると城は改築されていき、現在は博物館となっています。
ショーモン城はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ショーモン城が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
渓谷内にはブロワ、シノン、オルレアン、トゥールなど歴史的な景観を持つ街が点在し、そして、美しい外観のシャンボール城も見られるという点。
登録基準(ii)
渓谷は、2000年にも渡って人間と環境の調和をしつつ発展したという文化的景観が見られるということ。
登録基準(iv)
渓谷沿いに残る建築物は、王族や貴族たちによって建造され、デザインや思想において、ルネサンスを経て啓蒙主義時代の理想を実現したものであるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ショーモン城は、ロワール川沿いの丘の上を利用して築かれ、王家と貴族たちによって築かれた理想的な城であるという点で評価されています。
ちなみに、預言者としても有名なノストラダムス(1503〜1566年)は占星術師という側面もあり、カトリーヌに呼ばれてこの城を訪れ、当時の王朝の終焉を知らせたというエピソードは有名ではあるものの、これはあくまでも伝説だそう。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。