フランスの世界遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(2),(4)
登録年2000年

フランス中部に広がるロワール川沿いに広がる渓谷には、ルネサンス様式の美しい古城が広がっています。ロワール川沿いの約300kmにも渡る広大なエリアに300を超える古城が点在。ここは「フランスの庭園」とも呼ばれるほど、城と庭園が織りなす美しい風景が広がっています。

ここでは、シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ロワール渓谷について詳しくなること間違なし!

目次

シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷とは?

画像素材:shutterstock

この遺産は、パリから南へ約160kmの位置にあるシュリー=シュル=ロワールからフランス西部のシャロンヌまで、約300kmものロワール川沿いのエリアが含まれています。川沿いの町や村はローマ時代から19世紀まで交易で栄え、ぶどう造りなどが行われてきました。

この景観が作られ始めたのは、古代ローマ時代から。4世紀にトゥールの司祭であったマルティヌスが現在のフランス中央部にあるトゥールの郊外に、マルムティエ修道院が建造。キリスト教が布教するようになると、オルレアン、ブロワ、アンボワーズ、トゥールなど、ロワール川流域の都市は発展していきました。10世紀以降は、貴族がこの地に荘園を作るようになり、やがて城砦が建設され始めます。そして、14世紀になるとイギリスとの百年戦争が始まり、川沿いに城塞が多く建造されました。現在の古城もその頃に建造され始めたものです。

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15世紀になり、百年戦争が終了すると、城塞は壮麗な城へと改築されるようになります。そして、ヴァロワ朝のシャルル7世がシノン城を居城にすると、ヴァロワ朝の王はここに居城を構えるようになりました。16世紀末までにフランス・ルネサンスの傑作シャンボール城やシュノンソー城、アゼ=ル=リドー城など、自然に囲まれた城がたくさん建造され、今でもその美しい姿を残しています。

しかし、17世紀になるとルイ14世がヴェルサイユ宮殿を建造したことから政治の中心はロワール渓谷から離れましたが、その後も貴族たちに愛され続けました。そして、芸術家たちにもその景観が愛され、小説の舞台や絵画の題材になったりと、その景観は世界へと紹介されることになります。

登録されている主な構成遺産

シャンボール城

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ロワール渓谷沿いでも最も広大な城で、この遺産の代表的な城でもあります。ヴァロワ朝のフランソワ1世によって1519年から建築が始められたものですが、彼の治世の間はほぼ滞在することはありませんでした。もともとは狩猟小屋として建造されたものですが、中央の本丸を囲むように4つの塔で構成され、部屋は440もあり、階段は74ヶ所もあるという広大な城に改築されたのです。

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特に二重らせんの階段は2つの入口からそれぞれ入ると、決して出会うことがないという不思議な構造であり、これはフランソワ1世の客として免れたレオナルド・ダ・ヴィンチによる設計という説もあります。

ここは防衛施設が作られず、装飾だけにこだわって建造されたことから、フランス・ルネサンス様式の最高傑作となりました。しかし、フランソワ1世が亡くなると、城は荒廃と改築を繰り返し、1981年に世界遺産に単独で登録。その際は、「シャンボールの城と領地 」として建造されるも、2000年にはロワール渓谷の構成遺産として含まれるようになりました。

アンボワーズ城

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トゥールとブロアの間に位置するアンボワーズ城は、シャルル7世、ルイ11世、シャルル8世、フランソワ1世など、ヴァロワ朝の王が居城とした城。もともとはローマ時代から砦があったとされ、何度も拡張と改修が重ねられ、15世紀にシャルル7世の居城になります。そして、ルネサンス様式が取り入れられ、庭園はフランス式庭園の始まりもなったほどに革新的なものでした。

そして、フランソワ1世が招いたレオナルド・ダ・ヴィンチはこの城の郊外で暮らし、城と隣接したサン・ユベール教会堂で埋葬されました。しかし、16世紀になると王族はここから撤退し、フランス革命やナチス・ドイツ侵攻によって何度も破壊され、修復を繰り返してきました。

シュノンソー城

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ロワール川の南に流れる支流にあるシェール川にかつてあった製粉所の跡地に建造された城。11世紀には既に邸宅があったとされますが、王族に献上されたのが16世紀。その後、歴代の王の愛妾が住むこともありましたが、最終的にはチョコレート業者のムニエ一族がここを所有。

城内には、フランソワ1世の寝室やルイ14世の居室など、歴代の王が滞在した時に使用した部屋もあり、ディアーヌの庭やカトリーヌの庭など、王にまつわる女性たちの名が付いた庭園なども見られます。

シノン城

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トゥールの南西約50kmほどの距離にあるシノンにある城。丘の上に位置していて、街全体を見下ろすことができます。ここはローマ時代から砦があったとされていますが、トゥールの司祭マルティヌスによって修道院が建造されると、12世紀はイングランド王の居城になり、イギリスとフランスの一部を支配したアンジュー帝国の南の中心地でした。

15世紀にヴァロワ朝のシャルル7世の居城となり、ジャンル・ダルクと初めて会った場所としても有名。城壁で囲まれた敷地内は、3つの区画に分かれていて、無数の塔が点在するという要塞としての機能が強いのも特徴です。

ブロワ城

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ロワール川沿いに位置するブロアの街の中心部にある城。ここはフランス王が居城とした城で、13〜17世紀にかけて造られたもの。16世紀にフランソワ1世が建造した八角形の螺旋階段があり、フランス・ルネサンスの傑作とされています。

ロワール渓谷が評価されたのが、以下の点。

シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

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登録基準(i)
渓谷内にはブロワ、シノン、オルレアン、トゥールなど歴史的な景観を持つ街が点在し、そして、美しい外観のシャンボール城も見られるという点。

登録基準(ii)
渓谷は、2000年にも渡って人間と環境の調和をしつつ発展したという文化的景観が見られるということ。

登録基準(iv)
渓谷沿いに残る建築物は、王族や貴族たちによって建造され、デザインや思想において、ルネサンスを経て啓蒙主義時代の理想を実現したものであるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

とりあえず、古城だけでも300は登録されているという広大な遺産ではありますが、渓谷としての評価であるので、古代ローマ時代から川とともに発展し、古城や都市が並ぶという景観が作られたという点がポイント。そして、百年戦争が終わると王族や貴族たちはここに壮麗な城を建造し、彼らの理想的な空間を作り出したという点で評価されています。

ちなみに、アンボワーズ城の近くにあるクロ・リュセ城は、レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年を過ごした地として有名。フランソワ1世はあまりにもダ・ヴィンチを溺愛し過ぎたために、ダ・ヴィンチはフランソワ1世の腕の中で息を引き取ったという伝説のエピソードが語り継がれるほど。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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