登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(4),(6) |
登録年 | 1990年 |
エカテリーナ宮殿は「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」の構成資産の一つ。ロシア皇帝一家の夏宮殿であり、部屋全体が琥珀で装飾された「琥珀の間」はあまりにも有名。ところで、エカテリーナ宮殿はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではエカテリーナ宮殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、エカテリーナ宮殿について詳しくなること間違いなし!
エカテリーナ宮殿とは?
サンクトペテルブルクから南東へ約25km離れた位置にあるツァールスコエ・セローというエリアにある宮殿。ここはピョートル大帝の后であり、ロシア皇帝となったエカチェリーナ1世(エカテリーナ1世、1684〜1727年)が夏の離宮として1717年に宮殿を建築したのがルーツとなっています。そして、エカチェリーナ1世の娘であるエリザヴェータ(1709〜1762年)が大幅に改築し、1756年には全長325mにもなるロココ様式の壮麗な宮殿となりました。
ここは冬宮殿(現エルミタージュ美術館)に対して、夏宮殿と呼ばれるようになりました。部屋全体の装飾が琥珀で造られた「琥珀の間」は最も有名な部屋で、もともと冬宮殿にあった部屋を1770年にエカチェリーナ2世(1729〜1796年)によって夏宮殿に移設されたもの。しかし、オリジナルは第2次世界大戦時にドイツによって奪われ、破壊されたため、現在の琥珀は1979年から2003年にかけて修復されました。
エカテリーナ宮殿はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
エカテリーナ宮殿が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
湿地帯から開拓して作られたこの都市は、都市デザインとしてユニークで美しい景観を持つ都市であるということ。
登録基準(ii)
歴代ロシア皇帝によって整備されたサンクトペテロブルクは、多数の建築物が作られ、ロシアやフィンランドなどの建築様式と芸術に大きな影響を及ぼしてきたという点。
登録基準(iv)
市内に残る多くの建造物は、バロック様式と新古典主義様式などの優れた建造物であるという点。
登録基準(vi)
サンクトペテルブルクは、1703〜1725年にかけて町の建設、そして、1917年にここでロシア革命が発生し、ロシアの歴史と密接的に関わっているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
エカテリーナ宮殿は、ロシア皇帝によって築かれたロココ様式の壮麗な宮殿で、建築と美術様式においてロシアとフィンランドなどに影響を与えたという点で評価されています。
ちなみに、琥珀の間の装飾はナチス・ドイツに奪われ、ロシアの飛び地でもあるカリーニングラード州の城にて展示されていたのですが、イギリスの空爆によって消滅してしまいました。そのため、復元するのも資料がほとんどなかったため作業も大変だったそう。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。