登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4) |
登録年 | 1994年 |
比叡山にある延暦寺は「古都京都の文化材」の構成資産の一つ。ここは天台宗の開祖・最澄によって開かれた天台宗の総本山で、多くの僧が学んだ場所として有名です。ところで、延暦寺はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは延暦寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、延暦寺について詳しくなること間違いなし!
比叡山・延暦寺とは?
比叡山(標高848m)は、滋賀県の大津市と京都府の京都市との県境に位置しています。ここは古くから山岳信仰が盛んな地で、山の東側にある延暦寺は、天台宗の開祖・最澄(767〜822年)が開いた寺院がもとになっていて、現在も天台宗の本山となっています。最澄の死後「延暦寺」という寺号が許され、ここは京都の鬼門(北東の方角)を護る国家鎮護の道場となりました。
日本独自の仏教の開祖など、数多くの僧が学んだことでも有名で、日本の仏教における聖地でもあります。しかし、中世になると武家と対立することが多く、1571年に織田信長によって焼き討ちが行われれたことでも有名。その後、すぐに再建が始まり、江戸時代には上野の寛永寺に天台宗の実権は移るものの、明治になるとここは再び総本山として権威を取り戻しました。
根本中堂は、最澄によって788年に建立した小規模な寺院が前身で、現在の延暦寺の総本堂。ここは1642年に徳川家光によって再建され、最澄が作ったとされる本尊薬師如来像が置かれました。内陣には最澄の時代から火が絶え間なく続く「不滅の法灯」があることでも知られます。
比叡山・延暦寺はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
延暦寺が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
京都は8〜17世紀にかけて、宗教と世俗的な建築様式や庭園設計が発展した場所であり、日本伝統文化の形成に貢献してきました。そして、庭園設計は19世紀以降、世界中に大きな影響を与えたという点。
登録基準(iv)
京都の文化財に見られる建築と庭園設計は、日本の前近代の文化における最高の表現であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
延暦寺は天台宗の総本山だけあって、日本の仏教史に名前を残す僧たちが修行し、建造物を含め、独自の宗教文化を築いていったという点で評価されています。
ちなみに、比叡山にあった不滅の法灯は1571年の信長の比叡山焼き討ちで一時的に途絶えてしまったのですが、なんと山形の立石寺(山寺)にも分灯されていたため、それを本家に持ってくることで見事に復活できたのです。…ある意味、火が消えても「不滅」という見事な復活方法でしたね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。