和歌山県の世界遺産「補陀洛山寺」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (4), (6)
登録年2004年

補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。建物そのものは再建されたものですが、古くから「補陀落渡海」という独自の風習が盛んな地でした。ところで補陀洛山寺はなぜ世界遺産に登録されているのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは補陀洛山寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、補陀洛山寺について詳しくなること間違いなし!

目次

補陀洛山寺とは?

補陀洛山寺
画像素材:shutterstock

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院。ここは4世紀にインド(天竺)から漂着した裸形上人によって開山されたと伝えられています。補陀洛というのは、サンスクリット語で「観音浄土」を意味していて、仏典『華厳経』ではインドの南端に位置するとされています。ここは江戸時代までは大きな伽藍があったとされますが、1808年に台風ですべて破壊され、現在の本堂は1990年に再建されたもの。

中世では、はるか南洋に補陀洛が存在するという信仰があり、それを目指して航海するという「補陀落渡海」が各地で行われていました。ここはその中心地であり、渡海船と呼ばれる4つの鳥居を積んだ船を利用して旧暦の11月頃に渡海が行われていて、記録ではこの地で20回は行われていた様子ですが、その後、船に乗った人々がどうなったかは不明。やがて江戸時代になると、住職の遺体を船に乗せて水葬する形に変化しました。現在は渡海船の復元模型が境内に置かれています。

補陀洛山寺はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

補陀洛山寺
画像素材:shutterstock

補陀洛山寺が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
紀伊山地に残る霊場と参詣道は、神道と仏教が融合が見られ、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を示すということ。

登録基準(iii)
紀伊山地に点在する神社や寺院は、この地の慣習を含めて、1000年以上に渡る日本独自の宗教の発展を示すものであるという点。

登録基準(iv)
紀伊山地は、日本各地の寺社の建築様式に大きな影響を与え、それらの形成のルーツともなっているという点。

登録基準(vi)
紀伊山地の霊場と森林には、1200年に渡って神の宿る地として信仰が維持され、それらが景観に見られるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

補陀洛山寺では、中世の日本においても独自の信仰であった「補陀落渡海」が行われた地で、今ではその風習はないものの、そのルーツが残るという点で評価されています。

ちなみに、渡海船は一応「船」という形状ではあるものの、箱が置かれるだけでの簡素な造りで、人には108もの石を巻き付けていたらしく、ほぼ生還することを「防止」していた様子。しかも、紀伊半島の南海を流れる黒潮に乗ると…確実に太平洋へと向かっていき、ほぼ戻ってくることがないとのこと。つまりは、これは中世に流行した浄土思想と重なっていて、「捨身行(しゃしんぎょう)」という身体を犠牲する修行の一環であったとされるもの。こういった悲しい背景もあってか、よく小説や漫画の題材になっています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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