岩手県の世界遺産「橋野高炉跡」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年2015年

橋野高炉跡(はしのこうろあと)は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ。ここは大砲用の銑鉄を供給するため、良質な鉄鉱石が産出されるこの地で稼働した高炉の跡。ところで、橋野高炉跡はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは橋野高炉跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、橋野高炉跡について詳しくなること間違いなし!

目次

橋野高炉跡とは?

橋野高炉跡
画像素材:写真AC

岩手県の南東部に位置する釜石市の高炉跡。ここは日本で初めて洋式高炉を建造した盛岡藩氏・大島高任(おおしまたかとう、1826〜1901年)によって1858年に建造されたもの。彼は17歳から江戸で留学し、1853年に水戸藩主の徳川斉昭に招かれ、1855年には那珂湊反射炉(なかみなとはんしゃろ)を完成。しかし、水戸での原材料が砂鉄であったために、鉄鉱石から銑鉄を作る必要がありました。そのため、彼は岩手県の釜石で西洋式高炉を建造し、鉄鉱石から銑鉄を製造。これは日本初の商用高炉でもありました。

その後、橋野に高炉を着手し、ここは1894年まで操業。彼は日本の鉱業における第一人者になったことから「日本近代製鉄の父」となりました。その後は日本に残る最古の洋式高炉跡であることから国の史跡として保存。

橋野高炉跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

橋野高炉跡
画像素材:写真AC

橋野高炉跡が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
明治日本の産業革命遺産は、江戸時代から続く封建社会であった日本が19世紀半から西欧の技術によって20世紀初頭まで短期間で世界有数の工業国となり、そのノウハウや技術など、東アジアの工業化において影響を与えたという証拠である点。

登録基準(iv)
日本各地に残る鉄鋼、造船、石炭の産業拠点は、世界の歴史において、西欧諸国以外で初めて近代化に成功し、西欧技術の採用により、地元の技術革新と合わせて日本独自の工業化を反映した産業遺産であったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

橋野高炉跡は、大砲を量産するために良質な鉄鉱石から銑鉄を製造するための施設で、これが日本を含めて東アジアの工業化に影響を与えたものであるという点で評価されています。

ちなみに、大島高任は引退すると現在の那須で暮らし、ぶどうの栽培とワイン醸造の研究を行いました。日本近代製鉄の父なのにワインの発展にまで寄与したことから、彼はマルチな才能を発揮した人物でもありますね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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