ハンガリー・ブダペストの世界遺産「英雄広場」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年1987年

英雄広場は「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」の構成資産の一つ。ここはペスト側にある広大な広場で、ハンガリーという国家を発展させた歴代の英雄たちの像が置かれていることで有名。ところで、英雄広場はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここでは英雄広場がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、英雄広場について詳しくなること間違なし!

目次

ブダペストの英雄広場とは?

画像素材:shutterstock

首都ブダペストのドナウ川の東側にあるエリア、ペストはもともとは別の街でした。19世紀に中心部から郊外へと延びるアンドラーシ通りが完成し、1896年にはヨーロッパ大陸初の地下鉄がアンドラーシ通りの下に開通。アンドラーシ通りの突き当りにあるのが、英雄広場と呼ばれる広大な広場です。

英雄広場では、ハンガリー建国一千年を記念して記念碑の建設が1896年ころから始まり、ここにはハンガリーの歴代の王や貴族など、14もの英雄たちの像が築かれ、周囲の建造物を含めて1906年に完成しました。しかし、建設当初は、オーストリア=ハンガリー帝国の領土であったために、支配者であるハプスブルク家の人々の像が5つ置かれましたが、それらは第二次世界大戦後に広場が破壊された際に、ハンガリーにまつわる英雄に変更。

ブダペストの英雄広場はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:AdobeStock

英雄広場が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
ブダ城は、14世紀にはハンガリーでゴシック芸術が発展するきっかけになった建築物。アンドラーシ通りにある地下鉄は、ヨーロッパ大陸初の地下鉄を導入した例となり、ここから各地に広まっていったという点。

登録基準(iv)
ブダ城は破壊によって何度も再建され、各時代の建築様式が分かるという点。そして、国会議事堂はさまざまな様式を取り入れた優れた建築物であり、アンドラーシ通りはネオ・ルネサンス様式の建物が並び、地下鉄は当時の最先端設備を導入した例であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

アンドラーシ通りには、ネオ・ルネサンス様式の建造物が築かれ、その先にある英雄広場は、ハンガリー建国にちなんだ建造物が並ぶランドマークとなったという点で評価されています。

ちなみに、英雄広場の近くにある市立公園には、ヴァイダフニャディ城と呼ばれる立派な中世風のお城があります。さぞかし歴史深いのだろう…と思いきや、これもハンガリー建国一千年を祈念して1896年に建造されたもの。一応、ルーマニアにあるフネドアラ城をモデルにしているので、まるでドラキュラ城のようで雰囲気は抜群ですね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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