登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(3),(4),(6) |
登録年 | 1998年 |
春日大社は「古都奈良の文化財」の構成資産の一つ。現在は「鹿みくじ」で有名な神社ではあるものの、どんな理由で春日大社は世界遺産に登録されているのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは春日大社がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、春日大社について詳しくなること間違いなし!
春日大社とは?
平城京の東側にある御蓋山(三笠山)の麓に建造された神社。ここは藤原氏の氏神である鹿島神を祀っていたこともあり、藤原氏や朝廷によって崇敬を受けてきました。創建は768年とされていますが、東大寺の正倉院で保管されていたもので756年に描かれたとされる『東大寺山堺市四至図』では既に春日山が記載されていて、古くから神聖な場所であったと考えられています。
もともと興福寺と関係が深く、平安時代以降は一体化されていましたが、明治の神仏分離令によって神社と寺院に分けられました。
本殿は、主祭神である武甕槌命(タケミカヅチ、鹿島神)、経津主命(ふつぬしのかみ)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)の4柱を祀っていて、切妻造・妻入で優美な曲線を持つ「春日造」が見られ、拝殿がないというのが特徴。
春日山原始林
春日大社内にある神域で、社殿から御蓋山に広がる原生林は「春日山原始林」として、神社とは別に世界遺産の構成資産の一つとなっています。神域は平安時代の841年から樹木の伐採が禁止され、神山としてずっと保護されてきました。ここでは都の守護神として水神や雷神が祀られてきたもの。
春日大社はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
春日大社が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
古都奈良の文化財は、中国や朝鮮半島との文化的な繋がりが見られ、深い影響を与えられつつ、日本の建築と芸術が当時としては高い水準に達していたということを示すという点。
登録基準(iii)
現在残る建築物や遺構からは平城京が首都であった時代に日本独自の文化が開花したということを証明しているということ。
登録基準(iv)
平城京跡と奈良に残る建造物は、アジアの最初期における国家の首都の都市計画と建造物の優れた例であるという点。
登録基準(vi)
奈良の仏教寺院と神社は、山や森を神格化するという日本独自の神道思想などが見られ、これは今でも日本人精神に残っていて、宗教的な文化を継承し続けているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
春日大社は、藤原氏の氏神である鹿島神を御蓋山(三笠山)に還して祀ったことから、山を含めて自然そのものを神格化するという日本独自の神道による信仰が見られ、これは現在に続く神道文化へと繋がっているという点で評価されています。
ちなみに、なぜに藤原氏が鹿島神を信仰するとかというと、彼らのルーツである中臣氏はかつて神事・祭祀をつかさどった一族で、鹿島神を祖神(おやがみ、先祖とされる神)として祀っていたことから一族の氏神となったという経緯があります。奈良時代になると鹿は神様のお供と考えられ、今でも奈良で鹿が大事にされるのはこんな理由もあるそうな。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。