クロアチアの世界遺産「ポレッチ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (4)
登録年1997年

クロアチア西部に位置するイストラ半島西岸の港町ポレチュ。町の歴史はローマ時代にまで遡り、6世紀になると礼拝堂の跡地に当時の司教エウフラシウスによって「エウフラシウス聖堂」が建造され、長い年月をかけて完成させました。聖堂には現在でも美しいモザイクの壁画が残り、建造物は初期キリスト教建築とビザンツ美術の傑作でもあります。

ここではポレッチ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、エウフラシウス聖堂について詳しくなること間違いなし!

目次

ポレッチ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群とは?

ポレッチ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群
画像素材:shutterstock

イストラ半島西岸に位置するポレッチは、紀元前2世紀にローマ人によって軍事拠点が築かれ、紀元1世紀になるとパレンティウムと呼ばれる都市になりました。3世紀になるとキリスト教の共同体が多くなると、4世紀に現在の歴史地区には「パレンティウムの聖マウルス」に捧げられた礼拝堂が建造。そして、6世紀中期に当時の司教であったエウフラシウスが、礼拝堂があった場所に聖堂を建造し、10世紀まで長い期間をかけて完成しました。

ポレッチ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群
画像素材:shutterstock

ここはメインとなる聖堂の他にも、6世紀に建造された八角形の洗礼室、16世紀の鐘楼、柱廊のある中庭、5世紀の聖堂跡、司教の邸宅、礼拝堂から構成されるもの。聖堂の内部は、金色で輝くモザイクの壁が描かれていて、特に後陣上部にある丸屋根には「聖母子のモザイク」が描かれていて、聖母マリアを中心に天使とエウフラシウスが両側に並ぶというデザインで、カトリック教会で唯一残る聖母子のモザイクでもあります。後陣上部にはキリストと12使徒が描かれていて、その下には13世紀に建造された大理石製の天蓋があり、15世紀になるとルネサンス様式の浮き彫りが加えられたもの。

8世紀になると、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)内にはイコノクラスム(聖像破壊運動)が起こり、聖像(イコン)が破壊されたものの、このエリアはカトリック教会を保護するフランク王国の支配下になったため、ビザンツ美術が残されました。

ポレッチ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ポレッチ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群
画像素材:shutterstock

エウフラシウス聖堂が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
登録基準(iii)
登録基準(iv)

ここは4世紀には既に存在していたキリスト教会の複合建造物群であり、保存状態も良好。聖堂や洗礼堂、司教の邸宅など宗教建築の傑作であり、聖堂は初期キリスト教建築とビザンツ美術が組み合わさった建造物であるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

エウフラシウス聖堂は、4〜6世紀にルーツを持つ、聖堂だけでなく、洗礼堂や司教の邸宅を含めた複合的な聖堂建築群であり、これらは初期キリスト教建築とビザンツ美術が組み合わさった傑作が並ぶという点で評価されています。

ちなみに、イストラ半島というと沿岸の港町はアドリア海のリゾート地が続きますが、内陸は山がちでトリュフの産地として有名。ヨーロッパでもフランスやスペイン、イタリア産のトリュフが多い中、ここにはさらにレアな白トリュフも食べられるということで、旅行者にも人気です。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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