ブルガリアの世界遺産「リラ修道院」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(6)
登録年1983年

ブルガリア南西部の山々に囲まれた町・リラにある修道院は、リラのイオアンによって10世紀に設立されました。やがて修道院は巡礼者が多く訪れるようになり、19世紀に火事で燃えてしまいますがすぐに再建。この修道院そのものがブルガリア人のアイデンティティとなっている点が評価されています。

ここでは、リラ修道院がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、リラ修道院について詳しくなること間違いなし!

目次

リラ修道院とは?

画像素材:shutterstock

リラは、ブルガリア南西部のリラ山脈に位置する小さな町。この町から20kmほど離れた場所に修道院があり、多くの巡礼者が集まっています。

もともとは10世紀にリラのイオアンという聖人がここで禁欲的な生活を送っており、教え子たちのために設立したの修道院の起源。やがて11〜14世紀には、巡礼地として多くの人が訪れるようになり、ここはブルガリアの文化の中心地として栄えました。オスマン帝国に支配された時期でも修道院は存在し、破壊されることがあっても、内部にはフレスコ画などが保存され、ブルガリアの文化を守り続けていたのです。

現在の修道院のほとんどは19世紀に再建されたものなので、古い建造物ではありませんが、当時のバルカン半島の職人技術の結晶ともいうべき傑作でもあります。

登録されている主な構成遺産

聖堂

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19世紀の火事によってほぼ崩壊してしまったので、現在見られるのは再建されたもの。5つのドームを持ち、3つの祭壇を持つ大きな聖堂。そして、天井や壁にはフレスコ画が至るところに描かれていますが、これは各地から当時の有名画家が集められて描かれたもの。

フレリョの塔

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修道院は何度も破壊されていて、その度に再建・修復されており、14世紀にはフレリョ・ドラゴヴォラという領主によって再建されました。その際に付け足されたのが、このフレリョの塔。19世紀には火事によりほとんどの建物が崩壊しましたが、それ以前の修道院の姿を残すのが今ではフレリョの塔くらい。そして、19世紀に鐘楼が加えられました。

リラ修道院はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

リラ修道院が評価されたのが、以下の点。

登録基準(vi)
イコンや十字架など、ブルガリアの歴史を「保存」しているともいうべき修道院は、19世紀にブルガリアの文化が復興した時期に彼らの象徴的存在になったという点。

世界遺産マニアの結論と感想

実はリラの修道院は、建築物そのものというよりもブルガリア文化のシンボル的存在として評価されているんです。というのも、19世紀当時、オスマン帝国に支配されていたブルガリアは民族主義が高まり、ブルガリアの人々は自分たちのアイデンティティとしてリラ修道院をその対象としたのです。ここにはイコンはもちろん、ブルガリア語で書かれた書物なども残っていて、民族としての心の拠り所でした。

ちなみに、修道院の宿坊はホテルとして利用することも可能。観光客は朝から夕方までしか訪れることができませんが、早朝の修道院の様子を体感できるというのは素晴らしいですね。…しかし、修道院の宿坊のため、質素な部屋なのでホテルとしての設備は期待しないように。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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