登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (2),(4) |
登録年 | 1997年 |
キーク・イン・デ・キョクは「タリン歴史地区」の構成遺産の一つ。タリンの旧市街でも南側にある砲塔で、16〜17世紀当時の姿を現在まで残しているという点で貴重なもの。ところで、キーク・イン・デ・キョクはなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではキーク・イン・デ・キョクがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、キーク・イン・デ・キョクについて詳しくなること間違なし!
タリンのキーク・イン・デ・キョクとは?
リトアニア北部にある首都タリンはバルト海沿岸にあり、保存状態の良い旧市街があることで知られます。旧市街の南側にあるキーク・イン・デ・キョクは、高さ38mの塔で、ここは丘の上にある行政区のトームピアを防衛するために1475年に建造されたもの。「キーク・イン・デ・キョク」とは低地ドイツ語で「台所を覗く」という意味で、塔からは周囲の家のキッチンを覗くことができることから名付けられました。
ここは1577年には大砲の砲撃を受けてから改修されたため、上層階にある砲口、屋根の外壁や天井はその時に加えられもの。18世紀になると塔としての役目が終わり、保管庫として利用され、20世紀になると修復。現在は博物館やギャラリーとして利用されています。
タリンのキーク・イン・デ・キョクはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
キークインデキョクが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
13〜16世紀のハンザ同盟都市には、ドイツ騎士団や修道会など、さまざまな文化が交流したことから独自のキリスト教文化が形成され、北欧各地に広まっていったという点。
登録基準(iv)
ハンザ同盟都市として、町には要塞と城塞で囲まれた建築物の風景が見事に調和されているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
キーク・イン・デ・キョクは、かつてハンザ同盟都市であったために、要塞に囲まれていた当時のタリンの様子が見られ、建築においてはドイツとの関連性も見られるという点で評価されています。
ちなみに、ドイツ語は中部・南部の高地ドイツ語と、北部の低地ドイツ語に大きく分類され、現在のドイツ語は高地ドイツ語がベースになっているもの。そういった意味では遠く離れたドイツ北部の言葉が北欧の港町で今でも残っているという点で興味深いですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。