登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2015年 |
小菅修船場跡(こすげしゅうせんばあと)は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ。ここは日本初の西洋式ドックとして利用され、現在は遺構となっています。ところで、小菅修船場跡はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは小菅修船場跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、小菅修船場跡について詳しくなること間違いなし!
小菅修船場跡とは?
長崎県長崎市小菅町にあるドック跡。ここは1869年に完成した西洋式ドックであり、薩摩藩の小松帯刀と五代友厚、スコットランドの実業家トーマス・グラバーによって計画されたもの。ここには日本初のレンガ造りの機械室(曳揚げ小屋)や英国製の巻き上げ機などがあり、日本で初めて実装された蒸気機関でもあります。
ここの船台式ドックは、現在主流の乾ドックとは違い、海上から入江まで軌条に乗せた船台を移動させ、巻き上げ機に繋がったロープで陸上まで引き上げるという仕組み。1884年に三菱が買収し、現在は三菱重工業長崎造船所が管理しています。
小菅修船場跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
小菅修船場跡が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
明治日本の産業革命遺産は、江戸時代から続く封建社会であった日本が19世紀半から西欧の技術によって20世紀初頭まで短期間で世界有数の工業国となり、そのノウハウや技術など、東アジアの工業化において影響を与えたという証拠である点。
登録基準(iv)
日本各地に残る鉄鋼、造船、石炭の産業拠点は、世界の歴史において、西欧諸国以外で初めて近代化に成功し、西欧技術の採用により、地元の技術革新と合わせて日本独自の工業化を反映した産業遺産であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
小菅修船場跡は日本で初めて蒸気機関を用いた西洋式ドックで、後に三菱へ移管された後も利用され続け、東アジアの工業化に大いに貢献したものであるという点で評価されています。
ちなみに、小菅修船場跡はいくつかの船台をロープで引っ張って船をドックに入れることから、まるでソロバンのように見え、「ソロバンドック」という名前も付けられています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。