登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (6) |
登録年 | 2011年 |
毛越寺(もうつうじ)は「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つ。ここは中尊寺を超える規模を持つ寺院と考えられていますが、現在はほぼ遺構となっています。ところで、毛越寺はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは毛越寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、毛越寺について詳しくなること間違いなし!
毛越寺とは?
平泉町の寺院の中でも南西部に位置する寺院。ここは850年に中尊寺と同年に円仁が創建とされていますが、伽藍を再興したのは奥州藤原氏、2代の基衡(もとひら)と3代の秀衡(ひでひら)。中尊寺は原型が残っているのに対し、ここは度重なる災禍によるほとんどの建築物が残っていません。
17世紀になると、寺院と周辺は水田となったものの、1922年になると史跡となり、1954年に発掘調査によって金堂跡や南大門跡などの遺構が発見されました。中世には、40以上の堂宇(屋根を持つ建物)と500を超える禅坊があったとされます。
浄土庭園
平安時代の中期になると、死後に極楽浄土に行くことを願う「浄土思想」から阿弥陀堂を中心として、池や仏堂が配置された浄土庭園が日本各地に建造されていきます。特に毛越寺はその原型が残っていて、平安時代の伽藍の跡が見られるもの。さらに遣水という池に水を引き入れる水路が残っており、これは平安時代のものとしては日本最大級でもあります。
毛越寺はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
毛越寺が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
中国や朝鮮半島から伝来した仏教が、12世紀に浄土思想として、日本古来の自然崇拝と融合し、平泉で花開いたという点。
登録基準(vi)
平泉には浄土(仏国土)を空間的に演出した建築物や庭園の理念が存在したという点。
世界遺産マニアの結論と感想
毛越寺は浄土思想のもとに建立され、敷地内に広がる浄土庭園は浄土を空間的に演出した設計が遺構として現在も見られるという点で評価されています。
ちなみに、基衡は中尊寺にご遺体としてミイラが存在するので、体格や死亡理由などはある程度分かっているのですが、当時としてはかなりの肥満体で脳出血や脳腫瘍などで急死したと考えられています。現代だとダラけた生活習慣による死亡が疑われるところですね…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。