登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3) |
登録年 | 2017年 |
沖ノ島(宗像大社沖津宮)は「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産の一つ。島そのものが宗像大社の御神体であり、ヤマト政権の形成期から祭祀が行われた場所として今でも聖域となっています。ところで、宗像大社沖津宮はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは宗像大社沖津宮がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、宗像大社沖津宮について詳しくなること間違いなし!
沖ノ島(宗像大社沖津宮)とは?
現在の宗像大社は、宗像大社三社と呼ばれ、沖ノ島にある「宗像大社沖津宮」、宗像市の近くに浮かぶ大島に位置する「宗像大社中津宮」と「沖津宮遥拝所」、本土にある「宗像大社辺津宮」で構成されています。玄界灘に浮かぶ沖ノ島には沖津宮があり、島全体が宗像神社の境内となっているのが特徴。
島の面積はたったの1平方kmという小さな島で、原生林に囲まれていますが、今でも遺構や遺物がそのまま残存。それらはヤマト王権によって500年に渡って祭祀が行われた跡でもあります。ここではその祭祀の変遷も見られ、初期は巨石の上で祭祀が行われた「岩上祭祀」、巨石の岩陰で祭祀を行う「岩陰祭祀」、岩陰と接する平場で行う「半岩陰・半露天祭祀」、最終的には平地で祭祀を行う「露天祭祀」に変化していったということがよく分かるもの。
島の山腹にある沖津宮は宗像三女神の田心姫神(たごりひめのかみ)が祀られていて、現在も社殿が存在。しかし、社殿の最も古い記録は17世紀ころであり、ずっと「不言様(おいわずさま)」という信仰が守られていて、かつては一切口外されなかったこともあってか、詳しいことはわかっていません。今でも女人禁制の伝統が続けられていて、現在でも特別な許可がないと原則、島に入ることは不可。
沖ノ島(宗像大社沖津宮)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
宗像大社沖津宮が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
沖ノ島に残る遺物は、航海の安全を願って祭祀が行われたという形成期を示すもので、ここは4〜9世紀にかけて、朝鮮半島を経由して東アジアのさまざまな国々と文化や技術の交流し、それらは500年に渡って古代の祭祀の変遷を伝え、日本列島における日本独自の文化形成に貢献したという点。
登録基準(iii)
沖ノ島では奉納物が多く発見され、それらは4〜9世紀にかけて500年間に渡る祭祀の変化が見られるというもの。9世紀以降は祭祀は途絶えたものの、祭祀は宗像大社として「宗像三女神」を崇拝するという形で残り、これは古代から現在まで発展し、受け継がれてきた文化的伝統を今でも残しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
沖ノ島は、大和政権による古代の祭祀の場であり、やがて宗像大社の沖津宮となり、御神体となったことから、その伝統が現代までずっと受け継がれて行きているという点で評価されています。
ちなみに、筑前の大名・黒田長政は島の祭祀遺物を家臣に持ち帰ってくるように命令すると、なんと祟りがあってすべて島へと戻されたそう。もともと「一草一木一石」を持ち帰ることすら禁止されているので、これも一種の戒めなのかもしれません。…とにかく、絶対に持ち帰ってはいけないので注意ですよ。そもそも私有地ですしね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。