メキシコの世界遺産「国立宮殿(パラシオ・ナシオナル)」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (4), (5)
登録年1987年

国立宮殿(パラシオ・ナシオナル)は「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ」の構成遺産の一つ。かつてのアステカ宮殿を改築したヌエバ・エスパーニャ副王の宮殿であった場所でもあります。ところで、国立宮殿はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここでは国立宮殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、国立宮殿について詳しくなること間違なし!

目次

国立宮殿(パラシオ・ナシオナル)とは?

ディエゴ・リベラの壁画/国立宮殿(パラシオ・ナシオナル)
画像素材:shutterstock

メキシコシティの中心部であるソカロの東側に位置する広大な宮殿。ここはかつて、アステカ帝国の皇帝(トラトアニ)モクテスマ2世(1466〜1520年)の宮殿があった場所で、官庁としての機能がありました。その後、廃墟となった後は1523年に征服者コルテスによって宮殿が造られたものの、17世紀に火災で焼失。

現在の建造物は18世紀に副王官邸として建てられたもので、現在はメキシコ大統領の官邸として利用されています。中央のパティオから2階に上がる階段には、メキシコ壁画運動と呼ばれる壁画の巨匠、ディエゴ・リベラ(1886〜1957年)によって1929〜1935年に渡って描かれた、450平方mもの広大な壁画があることで有名。壁画にはアステカの神話からメキシコ革命などがテーマに描かれていて、英雄たちも多く描かれています。

国立宮殿(パラシオ・ナシオナル)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

国立宮殿(パラシオ・ナシオナル)
画像素材:shutterstock

国立宮殿が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
14〜19世紀にかけて、この地はテノチティトランからメキシコシティへと変わり、アステカ帝国の建築技術などが植民地時代の建設物にも影響を与えているという点。

登録基準(iii)
地下に埋没していたテンプロ・マヨールは、この地でかつて繁栄したアステカ文明の存在を示すということ。

登録基準(iv)
広場を中心として碁盤の目のように通路が配されるという都市設計は、植民都市を代表するモデルであるという点。

登録基準(v)
ソチミルコの農業風景は、スペインによる征服前のメキシコ高原の暮らしを彷彿とさせるというものであるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

国立宮殿は、アステカ帝国時代の宮殿を破壊して建造され、植民都市の中心部に築かれた建築物の中でも傑作であるという点で評価されています。

ちなみに、メキシコが独立した後、19世紀末まではここは大統領官邸として利用されたのですが、それ以降は新市街に官邸が置かれたものの、2018年に当選したアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール大統領になった後、100年以上振りに大統領が国立宮殿に戻ってきたのです。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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