イランの世界遺産「シャフレ・ソフタ」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (4)
登録年2014年

イラン東部に位置するシャフレ・ソフタは「燃えた街」という意味を持つ遺跡。青銅器時代はイラン高原を横断するルートの交差点で、この地域の最も初期の社会の跡が見られます。紀元前3200年ころに設立してから、紀元前1800年頃までに4つの段階で人口が増加したものの、最終的には水路の迂回や気候変動によって都市は放棄。しかし、砂漠地帯にあったため、保存状態は良好です。

ここではシャフレ・ソフタがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シャフレ・ソフタについて詳しくなること間違いなし!

目次

シャフレ・ソフタとは?

シャフレ・ソフタ
画像素材:shutterstock

アフガニスタンとの国境に面したスィースターン・バルーチェスターン州にある日干しレンガの都市遺跡は、シャフレ・ソフタと呼ばれ、イラン東部でも最初期の都市であり、文明が存在したと考えられています。ここは紀元前3200年ころに設立され、紀元前18000年までに4つの主要な段階で人口が増加していき、それぞれ異なるエリアで発展していきました。これらには記念碑や邸宅、生産地、墓地など含まれます。

しかし、これだけ繁栄した文明であったものの、水路の迂回や気候変動によって紀元前2000年代初期に都市は放棄されたと考えられています。「燃えた街(シャフリ・ソフタ)」と呼ばれるものの、その焼失した理由は今でもよく分かっていません。ここは砂漠地帯であったために、建造物や埋葬地、芸術品などの遺物が大量に残されていて、保存状態は良好。

シャフレ・ソフタはどんな理由で世界遺産に登録されているの?

シャフレ・ソフタ
画像素材:shutterstock

シャフレ・ソフタが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
シャフレ・ソフタは、石器時代後期から青銅器時代初期にかけて、文化や社会、経済の発展した、村社会から都市化した共同体への移行を示すもの。ここは紀元前3000年期に存在した高度な社会跡を残すという点。

登録基準(iii)
シャフレ・ソフタは、インダス平原やペルシャ湾の南岸、オマーン湾、イラン南西部などの文明と交易を行ったという文化融合を示す証拠でもあり、遺跡からは金属や石器、宝石、陶器の加工の跡などが発見されていて、この都市が非常に重要な役割を果たしていたということ。

登録基準(iv)
シャフレ・ソフタの古代遺跡は、人類における初期の都市計画の傑出した例で、発掘により、保存状態の良い日干しレンガの構造、埋葬地、作業場、遺物が発見され、当時の街の規模、組織、財源、交易、社会構造などが明らかになっています。ここは住宅地や商業地区、埋葬地など、それぞれ分かれていたということも分かり、この地域の都市設計における重要な段階を示しているという点。

世界遺産マニアの結論と感想

シャフレ・ソフタは、人類の歴史でも最初期に分類できるほどに古い集落遺跡。これは村社会から大都市へと発展した遺構でもあり、周囲の国々との交易までが見られ、出土品を含めて文化も優れていたという点で評価されています。

ちなみにバルーチェスターンは、「バルーチ人の住む地」という意味で、古くからバローチ族が住む場所。彼らは独特の文化を持ちますが、実はインダス文明の時代からここに住んでいたとされるというほどに古い歴史を持つ人々。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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