登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (2), (4), (6) |
登録年 | 1992年 |
プラハの天文時計(市庁舎)は「プラハ歴史地区」の構成資産の一つ。プラハの中心部である旧市街広場の市庁舎に併設された時計塔は、世界でも最古級の天文時計の一つです。ところで、プラハの天文時計はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではプラハの天文時計がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、プラハの天文時計について詳しくなること間違なし!
プラハの天文時計(市庁舎)とは?
市庁舎は1344年に着工し、1881年に完成した、旧市街にある建造物。建造物の南東部に位置する天文時計は、上部の機械仕掛けの時計、下部には暦表盤で構成されていて、周囲には美しい彫像が加えられています。
1410年に設置されたという記録があり、世界でも三番目に古い天文時計で、稼働している時計としては最古とされています。これはプラハ・カレル大学の総長であり、数学・天文学教授であったヤン・シンデル(1370〜1443年頃)の設計によるもの。そして、1490年に暦表盤やゴシック彫刻が施された後は、何度も補修・修理され、現在の時計台は1948年に修復されたものです。
時計部分の文字盤は、アストロラーベのような構造となっていて、外側の大きな輪の中に十二宮の記号があり、これは太陽の黄道を示し、同時に針である筆を握る手は「黄金の手」と呼ばれ、プラハの現地時間を示すもの。そして、一定の時間になると、時計の横側の4つの彫像が動き、骸骨の姿をした死神の像が鐘を鳴らし、それに合わせて上部の窓からイエスの12使徒の像が表れるという機械仕掛けの構造。それもあり、これらの仕掛けは「使徒の行進」と呼ばれます。
プラハの天文時計(市庁舎)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
プラハの天文時計が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
14世紀以降に政治、経済、文化などが発展したプラハは、中欧や東欧の各都市の建築や芸術様式のモデルとなったという点。
登録基準(iv)
プラハは世界的に有名な建築物と町並みが溶け込んだ、優れた都市建築物の集合体であるということ。
登録基準(vi)
プラハは、中央ヨーロッパのキリスト教の中心地であり、カレル大学によって学問が発展し、フランツ・カフカが住んだ街として文化も発展した都市であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
プラハの天文時計は、学問が発展したプラハで建造されただけあり、科学の知識が施された、世界的にも優れた建造物であるという点で評価されています。
ちなみに、フランスの世界遺産・ストラスブールにある大聖堂内には、14世紀から残る天文台が置かれています。これは世界でも最古のコンプトゥス(復活祭の日を算出するを持つもの)の機能を持つ貴重なものだったのですが、18世紀に動かなくなってしまったのが残念。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。