島根県の世界遺産「龍源寺間歩」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (5)
登録年2007年

龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)は「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産の一つ。ここは銀鉱山の坑道であり、石見銀山において常時公開されている坑道ではありますが、龍源寺間歩ははなぜ世界遺産に登録されているのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは龍源寺間歩がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、龍源寺間歩について詳しくなること間違いなし!

目次

龍源寺間歩とは?

龍源寺間歩
画像素材:shutterstock

「間歩(まぶ)」とは、銀山採掘のために掘られた坑道を指し、石見銀山には600ほどの坑道が確認されています。特に龍源寺間歩は江戸時代中期に建造され、良質の鉄鉱石が掘られた坑道として有名。これは長さは約600mと、石見銀山では大久保間歩に次ぐ大坑道でした。壁にはノミによって拡張された跡や内部からは排水のために垂直に掘られた竪坑(たてこう)などが、今でも残っています。

龍源寺間歩は1943年まで利用され、それ以降は石見銀山の坑道の中でも唯一常時公開されている坑道となりました。

龍源寺間歩はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

龍源寺間歩
画像素材:shutterstock

龍源寺間歩が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
16世紀〜17世紀初頭の大航海時代に、石見銀山における銀の大量生産によって、日本と東アジア、ヨーロッパの国々との交易から文化的交流が生まれたという点。

登録基準(iii)
日本における金属の採掘と生産の技術革新は、採掘から精錬までの一連の労働集約型経営による運営形態の進化がもたらされました。江戸時代の日本は鎖国していたために、政治と経済が孤立していた中、ヨーロッパの産業革命によって開発された技術の導入が防がれ、やがて銀鉱山が枯渇すると休山。よってここは19世紀後半まで伝統的建築物が残り、保存状態も良好であるということ。

登録基準(iv)
石見銀山には、保存状態が良い鉱山、製錬所、輸送路、港湾施設の遺構が森の中に多く残り、銀の生産に関連した集落も含まれ、歴史的な土地利用の証拠が見られるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

龍源寺間歩は、日本における最大の銀山であった石見銀山の中でも当時の採掘の様子が保存状態が良く残っていて、その土地利用がよく分かるという点で評価されています。

ちなみに、龍源寺間歩は観光客が進めるのは入口から157m地点まで。それ以降は観光客用に掘られた栃畑谷新坑があり、ここには『石見銀山絵巻』などが展示されていて、博物館的な雰囲気のエリアがあります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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