イタリアの世界遺産「サンタ・クローチェ聖堂」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(2),(3),(4),(6)
登録年1982年

サンタ・クローチェ聖堂は「フィレンツェ歴史地区」の構成資産の一つ。13世紀建造のゴシック様式の聖堂で、ルネサンスの芸術家や科学者たちの墓があることでも知られます。ところで、サンタ・クローチェ聖堂はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではサンタ・クローチェ聖堂がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サンタ・クローチェ聖堂について詳しくなること間違いなし!

目次

サンタ・クローチェ聖堂とは?

サンタ・クローチェ聖堂
画像素材:shutterstock

フィレンツェ旧市街から南東の位置し、かつては市壁の外にあり、このあたりはかつてアルノ川が二手に分かれていてた時代には中洲にあたる場所でした。修道会のフランシスコ会によって13世紀に祈祷堂が築かれると、その後、現在の聖堂のベースとなるゴシック様式の建造物へと再建され、14世紀ころまで建造が続けられました。

聖堂の内部は清貧と禁欲の生活を理想としたフランシスコ会だけあって、列柱が並ぶ三廊式の身廊と翼廊で構成されるシンプルな構造。正面のファサードは長らく未完成のままで、19世紀にようやく完成しました。ここはミケランジェロやガリレオ、マキャヴェッリなど、有名な芸術家や科学者の埋葬地となっていることでも有名です。

サンタ・クローチェ聖堂はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

サンタ・クローチェ聖堂
画像素材:shutterstock

サンタ・クローチェ聖堂が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
フィレンツェの建造物や美術作品は6世紀以上に渡って築かれ、これらは人類の創造的な傑作であるという点。

登録基準(ii)
レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロという2人の天才を育てたフィレンツェは、ルネサンス生誕の地の一つであり、ヨーロッパ全体に影響を与えたものであったという点。

登録基準(iii)
フィレンツェの優雅な宮殿や邸宅は中世とルネサンス期に栄えた商業都市だったということを証明するということ。

登録基準(iv)
ヨーロッパでも有数の経済都市であるフィレンツェは14〜17世紀にかけて壮麗な建造物が多く作られたということ。

登録基準(vi)
コジモが設立したプラトン・アカデミーなど、フィレンツェはルネサンスの概念が生み出された都市であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

サンタ・クローチェ聖堂は、中世後期に建造されたゴシック様式の聖堂として知られ、ルネサンス期に活躍したイタリアの偉人が眠っているという点でも評価されています。

ちなみに、『神曲』の作者で有名なダンテ・アリギエーリの墓も聖堂内にあるのですが、フィレンチェ出身であるものの、晩年にラヴェンナで暮らし、その時期に亡くなったために、現在は彼の遺骨はラヴェンナの墓に置かれています。フィレンツェは数世紀に渡って返還を要求しているものの、今でも遺骨は戻ってきていません。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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