登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 1987年 |
山海関(さんかいかん)は「万里の長城」の構成資産の一つ。ここは万里の長城の東側に位置していて、古くから「天下第一関」と称されるほどに重要な関所でした。ところで、山海関はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここでは山海関(万里の長城)がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、山海関について詳しくなること間違いなし!
山海関(万里の長城)とは?
万里の長城の東端にあるエリアで、現在では河北省秦皇島市にあたる場所。ここは古くから華北と東北(満州)の境界であり、交通の要衝でありました。随や唐の時代の長城が残っていますが、現代のように「山海関」と呼ばれるように整備したのは、14世紀末に明の将軍、徐達(1332〜1385年)。その後も軍事要塞として非常に重視され、17世紀まで難攻不落の要塞でもありました。
城壁は約4kmにも渡り、壁の上には城楼が点在し、最も東端にあたる「老龍頭」は海に突き出ており、比較的保存状態が良いことで知られます。東門の「鎮東門」が最も堅固で、門の高さは12m。門の上の城楼は高さ13mと優美で「天下第一関」と書かれた大扁額(だいへんがく)があることでも有名です。
山海関(万里の長城)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
山海関が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
宇宙からも確認できるほどに広大な万里の長城は、自然の地形を利用した偉大な建築物であるという点。
登録基準(ii)
中国北方で万里の長城を建設することによって、中国人の居住地が拡大していったということ。
登録基準(iii)
保存状態の良い嘉峪関や明の時代の城壁部分などは、万里の長城が長年に渡って建造され続けていたということを証明しているという点。
登録基準(iv)
万里の長城は長年に渡って発展した防衛設備が見られる軍事建築のユニークな例であるということ。
登録基準(vi)
中国の詩や文学のテーマになるほど、万里の長城は異民族から中国を防衛するという重要なシンボルであったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
山海関は、軍事建築として優れているということだけでなく、満州との国境になったことから、異民族との戦いの歴史を垣間見ることができ、文化のシンボルにもなっているという点で評価されています。
ちなみに、万里の長城の「本線」としての最東端は山海関から延びた老龍頭ではあるものの、さらに東には「虎山長城」という支線も築かれていて、これは15世紀に明の時代に築かれたものであることからここが2009年に中国政府は東端にしました。しかし、異説もあったりして、今でも万里の長城の「最東端」ははっきりとしないところでもあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。