登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (6) |
登録年 | 2000年 |
守礼門は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産の一つ。ここは首里城の門の一つで、当時の城の様子が見られるというだけでなく、シンボル的でもあります。ところで、守礼門はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは守礼門がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、 について詳しくなること間違いなし!
守礼門とは?
沖縄県那覇市にある「首里」は琉球王国(1429〜1879年)の王都。首里城は琉球王朝の居城で、那覇市内を見下ろすことができる丘陵地帯に築かれました。その首里城の門の一つである守礼門は、大手門に値する存在で、2000円札の絵柄にもなっている城のシンボルでもあります。
門には「守禮之邦(しゅれいのくに)」という扁額(へんがく)が飾られていますが、これは「琉球は礼節を重んじる国」であるという意味。つまり「礼節を守る」ということを示し、これが門の名の由来となっています。門は16世紀の第二尚氏の時代に築かれたものの、現在の門は1958年に再建されました。2019年には火災によって本殿などが燃えたために復元ではありますが、現存する数少ない建築物でもあります。
守礼門はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
守礼門が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
琉球列島は、数世紀に渡って中国、韓国、東南アジア、そして日本との経済や文化的交流の中心地として発展し、それは現存する建造物によって示されているという点。
登録基準(iii)
琉球王国の文化は、その環境において独自に発展し、繁栄したということ。
登録基準(vi)
斎場御嶽など、琉球王国時代から続く聖地は、現在でも住民たちに自然崇拝や先祖崇拝の場として大切にされているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
守礼門は再建されたものではありますが、首里城に含まれるため、世界遺産の登録範囲でもあります。首里城の遺構からは、かつての琉球王国の政治の中心というだけでなく、各国の文化的交流が見られるという点で評価。
ちなみに2000円札は、2000年に開催された沖縄サミットに向けて発行されたものですが、日本の紙幣にしては珍しく、人物が描かれていないというデザイン。これは1999年に急遽決定したもので、1年で量産体制にする必要があり、建築物や絵巻のほうが歴史検証や制作の時間が短くなるためにこのデザインになったという事情もあったとか。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。