ハンガリー・ブダペストの世界遺産「セーチェーニ鎖橋」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年1987年

セーチェーニ鎖橋は「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」の構成資産の一つ。ブダペスト市内でドナウ川に架かる橋の中でも最古であり、その優美な橋は街を代表する建造物。ところで、セーチェーニ鎖橋はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではセーチェーニ鎖橋がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、セーチェーニ鎖橋について詳しくなること間違いなし!

目次

ブダペストのセーチェーニ鎖橋とは?

セーチェーニ鎖橋
画像素材:shutterstock

ドナウ川をまたいで西岸のブダ地区と東岸のペスト地区を結ぶ375mの橋。セーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵(1791〜1860年)が中心となり、最初の橋は1849年に完成したことから、ブダペストでも最古の橋となっています。鎖橋の名前の由来は、鉄鋼のチェーンを橋塔から吊り下げているという点。「鎖」とはいうものの、鎖は使用しておらず、チェーン式の吊り橋となっています。これは両端に丸穴の空いた鉄板を重ね合わせたアイバー・チェーンで固定するという仕組み。

しかし、初代の橋は第二次世界大戦中にドイツ軍によって破壊されてしまい、1949年に再建され、現在残る橋は2代目。これは以前の姿へと復元するということを前提に、川に落ちた鋼材も再利用され、半分以上は初代の橋から再利用されたというほど。

セーチェーニ鎖橋はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

セーチェーニ鎖橋
画像素材:shutterstock

セーチェーニ鎖橋が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
ブダ城は、14世紀にはハンガリーでゴシック芸術が発展するきっかけになった建築物。アンドラーシ通りにある地下鉄は、ヨーロッパ大陸初の地下鉄を導入した例となり、ここから各地に広まっていったという点。

登録基準(iv)
ブダ城は破壊によって何度も再建され、各時代の建築様式が分かるという点。そして、国会議事堂はさまざまな様式を取り入れた優れた建築物であり、アンドラーシ通りはネオ・ルネサンス様式の建物が並び、地下鉄は当時の最先端設備を導入した例であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

セーチェーニ鎖橋は、現在残るブダペストの橋の中でも最古であり、アイバー・チェーンを採用した珍しい構造の橋であるという点で評価されています。

ちなみに、下流にあるエルジェーベト橋は1903年に建造されたものですが、これも破壊され、1964年に再建。橋の名前は、オーストリア皇后エリーザベト(1837〜1898年)がハンガリーでとても人気が高かったことから名付けられたもの。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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