長崎県の世界遺産「高島炭鉱」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年2015年

高島炭鉱は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ。高島炭鉱は明治初期から蒸気機関によって採掘が行われ、後の近代炭鉱開発の先駆け的存在。ところで、高島炭鉱はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは高島炭鉱がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、高島炭鉱について詳しくなること間違いなし!

目次

高島炭鉱とは?

高島炭鉱

長崎半島の沖合に浮かぶ高島。面積は1.23平方kmの小さい島なのですが、江戸時代になると石炭が発見され、1868年に佐賀藩とスコットランドの実業家トーマス・グラバーによって採掘を始められると「北渓井坑(ほっけいせいこう)」と名付けられます。北渓井坑は日本で初めて蒸気機関によって竪坑が開削されたことから、日本の近代炭鉱開発の先駆け的存在となりました。1869年に海底炭田に達し、1876年まで採掘が継続。蒸気機関を使用した巻き上げ機や排水ポンプなどの技術は、端島炭坑(軍艦島)や福岡の三池炭鉱などのルーツともなりました。

明治時代初期になると三菱財閥によって日本初の本格的な炭鉱が建造され、1日300トンを出炭したというほど。一方、ここは過酷な「納屋制度」によって労働者は過酷な環境にありましたが、後にマスコミによってそれが全国で広がると1897年には廃止。その後も日本のエネルギーを支え続けましたが、1986年に閉山。

高島炭鉱はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

高島炭鉱

高島炭鉱が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
明治日本の産業革命遺産は、江戸時代から続く封建社会であった日本が19世紀半から西欧の技術によって20世紀初頭まで短期間で世界有数の工業国となり、そのノウハウや技術など、東アジアの工業化において影響を与えたという証拠である点。

登録基準(iv)
日本各地に残る鉄鋼、造船、石炭の産業拠点は、世界の歴史において、西欧諸国以外で初めて近代化に成功し、西欧技術の採用により、地元の技術革新と合わせて日本独自の工業化を反映した産業遺産であったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

高島炭鉱は、明治初期から北渓井坑が開削され、蒸気機関が使用されたことから、近代の炭鉱開発の中でも先駆け的存在であり、その後の工業化に影響を与えたという点で評価されています。

ちなみに、現在の高島は海水浴場で有名でコバルトブルーの美しいビーチであることから「日本の水浴場88選」に選ばれるほど。産業も廃れてしまったのですが、試行錯誤の末にトマト栽培に成功して、これは「たかしまフルーティトマト」となり、今では名産品となっています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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