群馬県の世界遺産「高山社跡」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年2014年

高山社跡は「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成遺産の一つ。ここは養蚕業の研究所であり、清温育と呼ばれる革新的な技術が生まれた場所。ところで、高山社跡はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは高山社跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、高山社跡について詳しくなること間違いなし!

目次

高山社跡とは?

高山社跡

藤岡市・高山に残る史跡で、かつて養蚕業の研究所であり、教育機関だった場所でした。ここは通風と温度の調節をして蚕を育てるという「清温育」を開発した高山長五郎(1830〜1886年)の実家を利用した施設。彼は1873年に門下生とともに高山組を組織し、この地で母屋の2階に天窓(ヤグラ)を設置して、清温育を確立しました。

彼は1886年に亡くなってしまい、現在の母屋は1891年に娘婿が建てたもの。1884年に高山社へと発展し、本部が当時の藤岡町に移転すると、ここは分教場として利用され続けました。日本だけでなく、海外からも学生が集まり、清温育を学ぶ施設として、後に長五郎の開発した清温育が日本の養蚕業の基本となったという点でも評価されています。

高山社跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

高山社跡
画像素材:Qurren(Wikimedeia Commmons)

高山社跡が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
富岡製糸場では、当時のフランスの養蚕技術が早期に伝えられ、20世紀初頭には世界でトップクラスのシェアを誇るようになりました。ここは世界に共有された養蚕技術が早期に確立していたという場所であったという点。

登録基準(iv)
富岡製糸場と関連する絹産業遺産群では、当時の西洋の最新技術を採用しつつも、日本の木造の伝統技術が利用されていました。それは「木造レンガ造り」など和洋折衷の建築様式が見られるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

高山社は、清温育が開発された場所というだけでなく、養蚕教育において大いに貢献したという点で評価されています。

ちなみに、藤岡市は2008年から「ぐんま大使」に任命されたヒデちゃんこと中山秀征氏の出身地。彼の実家は縫製工場でもあったので、ちょっとだけ関連性も見られますね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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