登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2015年 |
寺山炭窯跡は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ。ここは鹿児島市の集成館事業のために木炭を多く製造したという窯跡。ところで、寺山炭窯跡はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは寺山炭窯跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、寺山炭窯跡について詳しくなること間違いなし!
寺山炭窯跡とは?
鹿児島市吉野町寺山地区にある木炭を製造するための石積み窯跡。第28代当主・島津斉彬(1809〜1858年)によって築かれた西洋式工場である集成館は、稼働させるために大量の燃料が必要でした。そこで斉彬は1858年に集成館から北東に約5.5km離れていて森林に囲まれたこの地で熱効率の良い白炭を作る炭窯を計画。
ここでは炭窯が3基ほど築かれたものの、現在残っているのは1基のみ。高さ約3m、直径5〜6mの炭窯で、この地で築かれた白炭は、集成館の反射炉やガラス・陶磁器の製造などに使用されたとされています。
寺山炭窯跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
寺山炭窯跡が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
明治日本の産業革命遺産は、江戸時代から続く封建社会であった日本が19世紀半から西欧の技術によって20世紀初頭まで短期間で世界有数の工業国となり、そのノウハウや技術など、東アジアの工業化において影響を与えたという証拠である点。
登録基準(iv)
日本各地に残る鉄鋼、造船、石炭の産業拠点は、世界の歴史において、西欧諸国以外で初めて近代化に成功し、西欧技術の採用により、地元の技術革新と合わせて日本独自の工業化を反映した産業遺産であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
寺山炭窯跡は島津斉彬によって進められた集成館事業のための木炭の供給地として、日本を含めた東アジアの工業化において大いに貢献してきたという点において評価されています。
ちなみに、近くには西郷隆盛が明治になって設立した吉野開梱社があったことでも有名。ここは帰郷浪士たちがこの場所で村を開梱するという壮大な事業でもありました。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。