トルコの世界遺産「テオドシウスの城壁」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(2),(3),(4)
登録年1985年

テオドシウスの城壁は「イスタンブール歴史地域」の構成資産の一つ。かつてコンスタンティノープルと呼ばれた時代に築かれた二重の城壁で、難攻不落の防衛設備でもありました。ところで、テオドシウスの城壁はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではテオドシウスの城壁がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、テオドシウスの城壁について詳しくなること間違いなし!

目次

テオドシウスの城壁とは?

テオドシウスの城壁
画像素材:shutterstock

5世紀に現在のイスタンブール旧市街のある半島すべてを分断するように造られた城壁。内壁と外壁という二重の城壁となっていて、これらは東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世(401〜450年)によって建造されたものではあるものの、着工は先帝のアルカディウスの時代ともされています。これらは南はマルマラ海、北は金角湾まで約5.7kmも続いていました。

内壁のほうが先に建造され、厚さは4.5〜6m、高さは12mもあり、96もの塔が置かれていました。外壁は厚さ2mほど、高さは8.5〜9mで、最上階は軍人の通路となっているのが特徴。そして、外壁から20mほど離れた位置には堀があるという難攻不落な城壁でした。しかし、建設当初の遺構はほとんどが基壇部分のみで、ビザンツ帝国やオスマン帝国時代に再建されたものがほとんど。

最も南に位置したとされる「黄金の門」が城壁の中でも広大で豪華な装飾があったとされますが、パレオロゴス王朝(1261〜1453年)になると城塞化され、オスマン帝国時代になると、背後にイェディクレ要塞が建造されたために、現在は堅固な門となって残されています。

テオドシウスの城壁はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

テオドシウスの城壁
画像素材:shutterstock

テオドシウスの城壁が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
アヤ・ソフィアやスレイマニエ・モスクなど、ビザンツ帝国やオスマン帝国時代の傑作が多く残るという点。

登録基準(ii)
テオドシウスの城壁は軍事建築、アヤソフィアは大聖堂の建築様式やモスクのモデルとなったりと、ヨーロッパと中東各国の芸術や建築様式に影響を与えたということ。

登録基準(iii)
イスタンブールの旧市街に残る建築物はビザンツ帝国とオスマン帝国時代にここが繁栄していた様子がよく分かり、特にスレイマニエ・モスクやゼイレク・モスク周辺の伝統的住宅はオスマン帝国後期の都市設計などが見られるという点。

登録基準(iv)
各時代の建築物が残るイスタンブールは街全体が建築史そのものであるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

テオドシウスの城壁は、異民族から街を防衛するために建造された二重の城壁であり、軍事建築としては非常に優れていて、各地に影響を与えたという点で評価されています。

ちなみに、テオドシウスの城壁は遺構として現在まで残っているのでイメージし易いですが、もともとは北側の金角湾や南側のマルマラ海側にも城壁があったのですが、現在ではほとんど残っていません。しかし、海側は割とたやすく攻撃されてしまったこともあり、何度も修復されても、結局破壊されてしまうので、イスタンブールは海側が弱点だった様子。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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