登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (4) |
登録年 | 1993年 |
カイディン帝陵は「フエの建造物群」の構成資産の一つ。ベトナム中部の古都フエの郊外にある、ベトナムとヨーロッパの建築様式が組み合わさった陵墓。ところで、カイディン帝陵はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではカイディン帝陵がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、 カイディン帝陵について詳しくなること間違なし!
カイディン帝陵とは?
第12代の啓定帝(1885〜1925年)の陵墓。旧市街から南へ約10kmほどの距離にあり、ここは他の皇帝の陵と違い、バロック様式の影響が見られる建築物です。派手な装飾が施された外観で、内部の天井の装飾はヨーロッパの王宮のようなデザインで、磁気やガラスなども使用。
啓定帝は、フランスを訪問したこともあり、大いに影響されたことから王宮だけでなく、自らの陵墓までバロックやゴシック、新古典主義などのヨーロッパからの建築様式を採用。陵墓は山沿いに建築され、テラスのような構造となっていて、最上階にある宮殿には啓定帝の棺があります。棺の上には金箔が貼られた王の銅像が置かれ、他のベトナムの伝統様式の廟とはまた異なる陵墓となっているのが特徴。
カイディン帝陵はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
カイディン帝陵が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
フエの王宮や郊外の建造物は、アジアの封建社会で見られる首都の優れた例であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
カイディン帝陵は、現在はほぼ遺構だけとなっているフエ王宮とは異なり、ヨーロッパの建築要素が入ってるものの、アジアの封建社会に見られる独自の首都の構造が残っているという点で評価されています。
ちなみに、啓定帝はこの陵墓を建造するために増税したために国民から批判を受けてしまったということもあり、マイナスのイメージもありますが…現在のチュ・クオック・グー(ベトナム語のラテン語の表記方法)を導入したりと、近代化においてはかなり貢献した王でもあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。