登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(3),(4),(6) |
登録年 | 1982年 |
ウフィツィ美術館は「フィレンツェ歴史地区」の構成資産の一つ。近代美術館としてはヨーロッパ最古のものの一つで、現在ではイタリア・ルネサンスの絵画が多く収蔵されています。ところで、ウフィツィ美術館はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではウフィツィ美術館がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ウフィツィ美術館について詳しくなること間違いなし!
ウフィツィ美術館とは?
アルノ川沿いに位置する3階建ての美術館で、ここは1580年に完成した政庁舎を改装したもの。「ウフィツィ」とはイタリア語の「オフィス」を意味しています。ミケランジェロの弟子であるジョルジョ・ヴァザーリ(1511〜1574年)による設計で、彼は名門メディチ家のコジモ1世(1519〜1574年)お抱えの芸術家でした。基底部分は世界最初のコンクリート工法が見られ、当初はメディチ家の彫刻などの美術品を収蔵する場として活用されていたもの。
18世紀にメディチ家最後の当主であったアンナ・マリア・ルイーザ・デ・メディチによって、メディチ家が収集した美術品をすべて寄付した後は、ここは主に絵画館として一般公開されました。特にボッティチェッリ(1445年頃〜1510年)の『ヴィーナスの誕生』と『春(プリマヴェーラ)』が所蔵されていることでも有名。
ウフィツィ美術館はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ウフィツィ美術館が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
フィレンツェの建造物や美術作品は6世紀以上に渡って築かれ、これらは人類の創造的な傑作であるという点。
登録基準(ii)
レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロという2人の天才を育てたフィレンツェは、ルネサンス生誕の地の一つであり、ヨーロッパ全体に影響を与えたものであったという点。
登録基準(iii)
フィレンツェの優雅な宮殿や邸宅は中世とルネサンス期に栄えた商業都市だったということを証明するということ。
登録基準(iv)
ヨーロッパでも有数の経済都市であるフィレンツェは14〜17世紀にかけて壮麗な建造物が多く作られたということ。
登録基準(vi)
コジモが設立したプラトン・アカデミーなど、フィレンツェはルネサンスの概念が生み出された都市であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ウフィツィ美術館は、16世紀建造のルネサンス様式の建築物で、数多くのコレクションだけでなく、ルネサンス期にメディチ家による繁栄が見られるという点で評価されています。
ちなみに、レオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』も美術館に展示されていますが、これは1869年にウフィツィ美術館がフィレンツェ近郊の修道院から購入したもの。しかし、これはもともとはドメニコ・ギルランダイオという画家の作品と伝えられていて、実は近代までレオナルドの作品ではないとされていた作品。そして、これは彼の師匠であったアンドレア・デル・ヴェロッキオの合作でもあり、修行時代のものであったともされています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。