エルサレムの世界遺産「嘆きの壁」とは?場所も含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産(危機遺産1982年~)
登録基準(2), (3), (6)
登録年1981年

嘆きの壁は「エルサレムの旧市街とその城壁群」の構成資産の一つ。ここはかつて存在していたエルサレム神殿の西側の壁の一部で、ユダヤ教において最も重要な場所となっています。ところで、嘆きの壁はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここでは嘆きの壁がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、嘆きの壁について詳しくなること間違いなし!

目次

嘆きの壁とは?場所はどこにある?

壁は元々どんな場所だった?

嘆きの壁
画像素材:shutterstock

エルサレム旧市街を囲む城壁の南東に位置していて、かつて神殿の丘に立っていたエルサレム神殿の西側の壁が「嘆きの壁」と呼ばれています。そのために英語では「Western Wall(西壁)」と呼ばれるのが一般的。

神殿そのものは紀元前10世紀のソロモン王の時代から存在していましたが、現在の壁は紀元前20年にユダヤ王国の王であったヘロデ大王(紀元前73年頃 〜紀元前4年)によって拡張された外壁の一部分。壁の高さは約19mで、地上7段目まではヘロデ大王時代のものですが、上部はイスラム王朝やイギリスの実業家によって後世に加えられたもの。

壁はなぜ岩のドームの西側にある?

嘆きの壁
画像素材:shutterstock

神殿はもともとユダヤ教徒にとって神聖な場所であったのですが、4世紀ころになるとユダヤ人はエルサレムに入ることが禁止されてしまいました。その後は、壁の周辺だけ立ち入ることが許されため、ユダヤ教徒は神殿の破壊を嘆き悲しみ、祈りを捧げるようになりました。10〜11世紀ころには、信徒が嘆きの壁で祈っていたという記録があることから、古くからの伝統とされています。

神殿の丘は、7世紀にイスラム教勢力が支配し、岩のドームが築かれると、ここもイスラム教徒にとって聖地となりました。現在の神殿の丘はイスラム教徒によって管理されていて、嘆きの壁の部分だけをユダヤ教徒が管理しています。嘆きの壁の裏側にはすぐに岩のドームがあるということで、ユダヤ教とイスラム教の聖地が隣接しているのが特徴。

嘆きの壁はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

嘆きの壁
画像素材:shutterstock

嘆きの壁が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
エルサレムは、古来から支配者が変わり、さまざまな文化が交流した地であるという点。

登録基準(iii)
エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教の聖地であり、それぞれの宗教に関連する建造物が残るということ。

登録基準(vi)
三大宗教関連以外にも、世界史における重要な出来事が多く発生した都市であるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

嘆きの壁はユダヤ教にとっても重要な場所であり、壁の前で祈るという伝統を含めて、古来から支配者が変わるなか、今でも残されているという点で評価されています。

ちなみに、嘆きの壁は旧約聖書からの解釈で、男女別でお祈りできるエリアが異なっているのです。しかし、これは現代の考え方とは異なるという声もあってか、2016年からは男女で礼拝可能なエリアの設置が許可されました。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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