奈良県の世界遺産「薬師寺」とは?東塔と西塔を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(3),(4),(6)
登録年1998年

薬師寺は「古都奈良の文化財」の構成遺産の一つ。奈良時代に遡る三重塔があることで知られますが、どんな理由で薬師寺は世界遺産に登録されているのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは薬師寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、薬師寺について詳しくなること間違いなし!

目次

薬師寺とは?その歴史について解説

薬師寺
画像素材:shutterstock

680年に天武天皇(在位:673〜686年)の発願により藤原京(現在の奈良県橿原市と明日香村にあった都城)にて創建された寺院。718年に平城京内に移転され、入口に中門、中央には仏像が置かれた金堂、その手間の東西に置かれた塔、背後に講堂を配するという「薬師寺伽藍配置」で知られ、三重塔は飛鳥時代に花開いた白鳳文化を代表するもの。

しかし、943年の平安時代の火災により多くの建造物は火災。その後、1528年の戦国時代には東塔と東院堂以外は戦乱により焼失してしまいます。その後も1600年に金堂、1852年には大講堂が再建されるもの、現在のような白鳳伽藍が復活するのは第二次世界大戦後のこと。

薬師寺を建造した人、天武天皇とは?

本薬師寺跡
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天武天皇は、仏教を保護した人物としても有名で、当時は国家仏教となり、各地に寺院が盛んに造られました。それもあり、薬師寺は皇后である鵜野讃良(うののさらら)皇后(後の持統天皇)が病に倒れたため、天武天皇は発願(ほつがん、祈願をかけること)をするために建造したことから、彼が建造した人といっても過言ではありませんが、680年に建設途中で没してしまいました。天武天皇の死後も伽藍の建造は続き、『続日本紀』に698年にはほぼ寺は完成していたと予測されていて、既に僧も住んでいました。

しかし、710年には、薬師寺が平城京へ移転すると、ここは「本薬師寺(もとやくしじ)」とされ、平安時代中期まで存在していましたが、後に廃寺となります。よって、天武天皇時代に建造された薬師寺は現存しておらず、遺構となっていますが、現在の薬師寺と同じ薬師寺伽藍配置の形跡が見られる貴重なエリア。

薬師寺東塔(読み方は「とうとう」)

五重塔ではなく、実は三重塔

東塔/薬師寺
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奈良時代から残る唯一の建造物で、730年に完成したという記録が残っています。34.1mという高さを誇り、塔の内部には銘文が刻まれ、創建と本尊設立の趣旨が漢文で記されていて、これらは貴重な資料。現在は国宝として登録されています。

屋根の構造を見ると五重塔に見えなくもないですが、下から1・3・5段目の屋根は裳階(もこし、本来の屋根の下にもう一つ屋根をかける建築様式)になっているため、構造上は三重塔になっています。

薬師寺西塔(読み方は「さいとう」)

西塔と東塔の違いは?

西塔/薬師寺
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金堂の西側に位置することから「西塔」と呼ばれたもの。ここは日本で初めて東西に二つの塔を建立した「双塔式伽藍」であったことでも知られていたのですが、西塔は1528年に消失してしまいました。その後、再建されることなく、現在の西塔は1981年に再建されたものであるために、こちらは国宝には登録されていません。

最近再建されたために、創建当初と同じカラーリングがされています。実は左右対称には造られておらず、東塔には同じ箇所に連子窓がなく、白壁となっていますが、東塔は長い歴史の中で改築されたため、西塔のほうがオリジナルに忠実に造られているといっても良いでしょう。

薬師寺はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

薬師寺
画像素材:shutterstock

薬師寺が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
古都奈良の文化財は、中国や朝鮮半島との文化的な繋がりが見られ、深い影響を与えられつつ、日本の建築と芸術が当時としては高い水準に達していたということを示すという点。

登録基準(iii)
現在残る建築物や遺構からは平城京が首都であった時代に日本独自の文化が開花したということを証明しているということ。

登録基準(iv)
平城京跡と奈良に残る建造物は、アジアの最初期における国家の首都の都市計画と建造物の優れた例であるという点。

登録基準(vi)
奈良の仏教寺院と神社は、山や森を神格化するという日本独自の神道思想などが見られ、これは今でも日本人精神に残っていて、宗教的な文化を継承し続けているということ。

世界遺産マニアの結論と感想

薬師寺は奈良時代に確立された「薬師寺伽藍配置」が見られることから、日本の仏教史を示し、大陸との文化的な繋がりが見られ、三重塔は当時の高い技術力の証拠を残すという点で評価されています。

ちなみに「薬師寺」とは、薬師如来を本尊とする寺院のことで「〜薬師」という寺院や地名が多く残りますが、仏に病気平癒のような現世利益を祈願する日本人と非常にマッチすることから、7世紀ころから各地で薬師如来像が多く建造されました。今でもお正月に多くの人が「〜薬師」を訪れる人も多いので、非常に人気がありますね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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