登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 2004年 |
吉水神社は「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。吉野山でも中心地にあり、ここは南北朝時代に後醍醐天皇が潜幸(せんこう)した場所として有名。ところで、吉水神社はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここでは吉水神社がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、吉水神社について詳しくなること間違いなし!
吉水神社とは?
修験道の総本山・金峯山寺の近くにある僧坊・吉水院(きっすいいん)として、呪術者であり、修行者でもあった役小角(えんのおづぬ)によって建立されたとされるもの。南北朝時代は、後醍醐天皇(1288〜1339年)の行宮(あんぐう、一時的な宮殿)として利用されたものの、明治になると後醍醐天皇を祀る神社となりました。
敷地内には日本最古の書院があり、ここには後醍醐天皇の玉座があったとされる部屋も現存しています。庭園は豊臣秀吉が1794年の吉野の花見の際に造園された池泉鑑賞式庭園で、現在は国指定の名勝に登録。
吉水神社はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
吉水神社が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
紀伊山地に残る霊場と参詣道は、神道と仏教が融合が見られ、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を示すということ。
登録基準(iii)
紀伊山地に点在する神社や寺院は、この地の慣習を含めて、1000年以上に渡る日本独自の宗教の発展を示すものであるという点。
登録基準(iv)
紀伊山地は、日本各地の寺社の建築様式に大きな影響を与え、それらの形成のルーツともなっているという点。
登録基準(vi)
紀伊山地の霊場と森林には、1200年に渡って神の宿る地として信仰が維持され、それらが景観に見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
吉水神社は、南北朝時代に後醍醐天皇が潜幸した場所である一方、日本最古の書院があり、日本各地の建築様式に影響を与えているという点でも評価されています。
ちなみに、境内に保存された、茜・城・紫などのカラーリングされた「色々威腹巻(いろいろおどしはらまき)」は、源義経の鎧とされるもの。実際に逃亡時代の義経が滞在したとも伝わっていて、ちょっと説得力ありますね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。