登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 建造物群 |
登録年 | (2), (5) |
インド西部の大都市アフマダーバードは、15世紀にグジャラト朝のアフマド・シャー1世によって建造された都市。中心部はグジャラト朝時代の建造物が多く、パードラ砦や門など、要塞都市としての姿を現在に残しています。ここはヒンドゥー教やイスラム教だけでなく、様々な宗教の施設が集まるという多文化都市。
ここではアフマダーバードの歴史都市がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アフマダーバードについて詳しくなること間違いなし!
アフマダーバードの歴史都市とは?
インド西部・グジャラート州の主要都市であるアフマダーバードは、1411年にグジャラト朝のアフマド・シャー1世によってサバルマティー川を中心に設立された都市。ここはアフマド・シャー1世によって築かれたことから「アフマドの都市(アーバード)」と名付けられました。グジャラト朝はイスラム王朝でありましたが、多民族が住む都市であり、旧市街は多文化の融合が見られるのも特徴。
街には、グジャラト朝時代の建築物が今でも点在。旧市街には「ポル」と呼ばれる門が付属した伝統的邸宅の集合体があり、砦や門、城壁で囲まれた要塞都市の名残が残ります。ここはヒンドゥー教やイスラム教、仏教、ジャイナ教、キリスト教、ゾロアスター教、ユダヤ教など、さまざまコミュティが存在し、それぞれの宗教施設があるというのも特徴で、多文化が共存する都市でもあります。
アフマダーバードの歴史都市はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アフマダーバードが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
アフマダーバードでは、イスラム王朝であったグジャラト朝が被支配者階級の他宗教の建造物を利用したり、彼らの技術を最大限に活用し、モスクなどを建造。これらは西インドで15世紀に発展したユニークな建築技術を示すということ。
登録基準(v)
アフマダーバードの都市計画は門のある街路を共通空間としていて、それぞれに強いコミュニティとなり、「ポル」を構成。この生活様式は非常に優れていたということ。
世界遺産マニアの結論と感想
世界遺産としての登録理由としては、ここが多民族が集まった都市で、グジャラト朝がイスラム王朝であったため、モスクなどの宗教施設であっても、それぞれの宗教的特色が導入されたものであったという点で評価。そして、現在の旧市街はポルを中心とした独特の生活様式が見られるというのもポイント。
ちなみに、グジャラート州はマハトマ・ガンディーの生まれ故郷で、彼の活動拠点でありました。そして、イギリス政府の塩の専売に反対するために行われた「塩の行進」はアフマダーバードがスタート地点ということでも有名。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。