登録区分 | 文化遺産 危機遺産2013年〜 |
登録基準 | (1), (3), (6) |
登録年 | 1980年 |
シリア南部にるボスラは、かつてはローマ帝国のアラビア属州の州都であった都市で、地中海とアラビア海を繋ぐ中継地として繁栄しました。現在でもローマ劇場や初期のキリスト教の遺跡などが残っていて、これらは黒い玄武石で作られているため、遺跡全体が黒く見えるのが特徴。
ここでは古代都市ボスラがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ボスラについて詳しくなること間違いなし!
古代都市ボスラとは?
ボスラは首都ダマスカスから南へ約150kmの位置にあり、ヨルダンの国境沿いのダルアー県にあります。「ボスラ」という名は、紀元前14世紀の古代エジプトのテル・エル・アマルナ遺跡の石版にも記載されるほど古いもの。通商で栄えたナバテア王国の北の首都になった後は、1世紀にローマ帝国に編入し、アラビア属州の州都になりました。
ここは、ローマ時代は「ノヴァ・トラヤナ・ボストラ」と呼ばれ、後にビザンツ帝国では国境近くに位置する都市となり、穀倉地帯として繁栄。やがて7世紀にイスラム勢力に征服されると、モスクや神学校が建造されるように。13世紀まで要塞化され続けたものの、やがて衰退し、廃墟となりました。
現在のボスラはローマやビザンツ帝国時代の遺跡の上に、イスラム時代の集落が建造されているため、一部しか発掘されていませんが、2世紀に建造されたローマ劇場の遺構が残り、ボスラ大聖堂やアル=オマリ・モスクなども現存。これらは素材として黒い玄武石が使用されているため、全体的に黒く見えるのが特徴です。
危機遺産(危機にさらされている世界遺産)
2011年に発生したシリア内戦によって、危機遺産に登録。2018年には反政府勢力はダルアー県から撤退したものの、現在も解除されていません。
古代都市ボスラはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ボスラが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ボスラは、2世紀にローマ劇場などが建造された城塞都市で、現在はキリスト教の聖堂や教会群、モスクなどの遺跡が残り、独特の建造物が見られるという点。
登録基準(iii)
ボスラはかつては8万人もの人口を誇る都市で、市内にはナバテア王国、ローマ帝国、ビザンツ帝国、ウマイヤ朝など、各時代の建築物の遺構が残っているということ。
登録基準(vi)
イスラム教においてはボスラはムハンマドが2回も訪れたことがあると言われ、彼はアッシリア東方教会の修道士バヒラから預言者になるということを示唆されたというエピソードがあるくらいに重要な都市であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ボスラは、古代エジプトにも記録されるほどに古い都市で、ここは廃墟になったため、ナバテア王国、ローマ帝国、ビザンツ帝国、ウマイヤ朝の建造物が遺跡として残され、現在でもかつての繁栄が見られるという点で評価。そして、イスラム教の開祖ムハンマドゆかりの地というのもポイントです。
ちなみに、イスラム教の歴史において現存している最も古いモスクは、ダマスカスのウマイヤ・モスクでありますが、ボスラのアル=オマリ・モスクもかなり古い時代のモスクで、現在は復元されたものの、廃墟となっていた期間があるため、世界最古レースに参加できなくて残念ですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。