ハイチの世界遺産「シタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(4), (6)
登録年1982年

ハイチ北部にあるラミエール国立歴史公園には、19世紀に建国の父であり、皇帝であったジャン=ジャック・デサリーヌを暗殺して即位したアンリ・クリストフが建造したシタデルとサン=スーシ宮殿が残っています。ここは自由を得た黒人奴隷によって建国されたハイチという国家のシンボル的存在。

ここではシタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めばラミエール国立歴史公園について詳しくなること間違いなし!

目次

シタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園とは?

ラミエール国立歴史公園は、ハイチ北部の沿岸に広がる平野から山岳地帯を含めて登録されています。ここには19世紀に行われたハイチ独立運動に関する建造物であるシタデルとサン=スーシ城の2つが存在します。

シタデル

画像素材:shutterstock

標高970mのラフェリエール山に頂上に位置する城塞で、19世紀初期の軍事技術の傑作でもあります。ここは1804年にフランスから独立を指導したジャン=ジャック・デサリーヌの配下の将軍の一人で、後に国王となるアンリ・クリストフが中心になって建造。

高さは50m、厚さ5mもの城壁を持ち、4つの塔を持つ堅固な城塞でもあります。城壁は365もの大砲を備えていて、5000人もの兵士を収容できる兵舎も存在していました。これらは旧宗主国であったフランスの侵攻から防衛するためであり、20万もの奴隷によって建造。しかし、フランス軍の侵攻もなかったため、現在でも保存状態が良好です。

サン=スーシ城

画像素材:shutterstock

ラフェリエール山の麓のミロという村の近くに築かれた宮殿で、アンリ・クリストフがデサリーヌを暗殺して王となると、彼の居城として1813年に完成したもの。ここはフランスのヴェルサイユ宮殿をモデルとしていて、豪華絢爛な宮殿から階段状の庭園など、かつてはバロック様式の優雅な建造物でした。しかし、1842年の地震により、深刻な被害を受け、現在は廃墟となっています。

この城を建造したアンリ・クリストフは、国内の不満を受けてここで弾丸を自らに打ち込んで自殺しました。彼の亡骸はシタデルで葬られています。

シタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

ラミエール国立歴史公園が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iv)
ラミエール国立歴史公園には、シタデルやサン=スーシ城など、ハイチの独立に関連した歴史を示す建造物が並ぶという点。

登録基準(vi)
ラミエール国立歴史公園に並ぶ建造物は、ジャン=ジャック・デサリーヌによって建造された黒人奴隷による初の国家であるハイチのシンボル的存在であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ラミエール国立歴史公園に残るシタデルとサン=スーシ城は、黒人奴隷によって建国された世界初の国家であるハイチの初期の国王や指導者たちに関連する建造物であるという点で評価されています。

ちなみに、ハイチは独立前はサン=ドマングと呼ばれていたのですが、先住民であるタイノ族からとって「ハイチ」と名付けられました。タイノは「山ばかりの土地」という意味で、実際にハイチは山ばかりの国でもあります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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