メキシコの世界遺産「ソチカルコの考古遺跡地帯」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3),(4)
登録年1999年

メキシコ南部にあるソチカルコは、650〜900年の古典期後期の混乱期に繁栄した城塞都市。ここは最も高い丘を囲むように小さな丘が周囲に位置し、中央にある丘には最高神である「ケツァルコアトルの神殿」があり、この遺跡の建造物は南部のモンテ・アルバンやパレンケ、ユカタン半島のティカルなどの都市との交流が見られるもの。

ここではソチカルコの考古遺跡地帯がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ソチカルコについて詳しくなること間違いなし!

目次

ソチカルコの考古遺跡地帯とは?

ソチカルコの考古遺跡地帯
画像素材:shutterstock

首都メキシコシティの南方にあるモレロス州。州都クエルナバカの郊外にあるソチカルコとは「花々の館」という意味で、これは古代の中央アジアで広く話されていナワトル語から由来し、華やかな神殿からこのように付けられたとされています。中央アメリカにおいて、現在のメキシコシティを中心に繁栄したテオティワカンが7〜8世紀に滅ぶと、混乱期に入り、モンテ・アルバンやパレンケ、ティカルなど各地に都市が栄え、それぞれに芸術様式が見られるようになりました。

ここは650〜900年の古典期後期に建造され、当時は政情が不安定であったため、城壁や要塞などを備える必要があり、城塞都市としては最高峰の設備を持つものでした。そして、ここはメソアメリカの政治の中心であり、宗教都市として、メキシコ湾岸、オアハカ、マヤなど、各都市との交流を持っていたと考えられます。しかし、900年ころに外敵もしくは反乱によって街は破壊され、廃墟となりました。

ケツァルコアトルの神殿/ソチカルコの考古遺跡地帯
画像素材:shutterstock

ソチカルコは丘陵地帯に作られた都市で、最も高い丘を囲むように6つの小さな丘が周囲に位置し、中央の丘は神殿や公共施設があり、周囲の丘は居住地跡が発見されています。中央の丘に広がる遺跡は、擁壁(ようへき)で囲まれていて、遺跡全体がまるでピラミッドのようになっているのが特徴。

中央の丘の広場には「ケツァルコアトルの神殿」があり、これはソチカルコで最大の建造物であり、かつてはピラミッド状でありましたが、現在は基壇のみが残存。神殿はタルー・タブレロ様式という、基壇と斜面部分を組み合わせたものであったと考えられていて、斜面にはケツァルコアトルの浮き彫りが刻まれています。他には日付や王の名前などが刻まれた石碑も存在していて、これらの建築様式は、モンテ・アルバンやマヤなどの交流があったことを示すもの。

ソチカルコの考古遺跡地帯はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ソチカルコの考古遺跡地帯
画像素材:shutterstock

ソチカルコが評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
ソチカルコは、中央アメリカの古典期における保存状態の良い城塞都市であるという点。

登録基準(iv)
ソチカルコの建築と技術は、テオティワカンという大帝国が滅んだ後の文化的再編が発生した時期に、中央アメリカのさまざまな文化が融合したものであるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ソチカルコの遺跡は、各地方でさまざまな都市が支配する時代に、それぞれの都市と交流があり、それらが融合した建築物が並ぶ城塞都市が見られるという点で評価されています。

ちなみに、ケツァルコアトルの神殿の近くでは、首のない人間が心臓を取り出されて神に捧げられるという恐ろしい像が発見されています。これは球技場で負けた人物たちが犠牲となったのか…それとも捕虜だったのか…今でもはっきりはしません。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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