登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
---|---|
登録基準(暫定リストに記載) | (2),(6) |
申請年(暫定リストに記載) | 2012年 |
「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」が拡大登録を目指していて、長者ヶ原廃寺跡(ちょうじゃがはらはいじあと)は構成資産の候補の一つ。ところで、長者ヶ原廃寺跡はなぜ世界遺産候補なのでしょうか?
ここでは長者ヶ原廃寺跡がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、長者ヶ原廃寺跡について詳しくなること間違なし!
長者ヶ原廃寺跡とは?
奥州市にある廃寺跡で、平泉の中尊寺からは北の約1kmに位置しています。現在は草原となっているように見えますが、調査の結果、ここには奥州藤原氏成立の前段階である10~11世紀に広大な寺院があったことが分かり、奥州藤原氏のルーツの一つである安倍氏によって建立されたものとされています。
ここは東西約110m、南北約90mの規模であり、周囲には築地塀跡(ついじべいあと)が巡っていて、外側には溝が見られます。仏堂があった本堂跡や西建物跡、南門跡などが残っているものの、ほとんどが遺構のまま。廃寺となった時期ははっきりとしませんが、焼けた跡があることから、前九年の役(1051〜1062年)の際に滅ぼされたとされ、少なくとも源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした12世紀後半には既に遺構であったという記録があります。
長者ヶ原廃寺跡はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
長者ヶ原廃寺跡が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
中国や朝鮮半島から伝来した仏教が、12世紀に浄土思想として、日本古来の自然崇拝と融合し、平泉で花開いたという点。
登録基準(vi)
平泉には浄土(仏国土)を空間的に演出した建築物や庭園の理念が存在したという点。
世界遺産マニアの結論と感想
長者ヶ原廃寺跡は、現在は遺構となっているものの、奥州藤原氏のルーツ的村内である安倍氏の寺院であり、その建物の配置や設計などから浄土思想も見られるという点で評価されています。
ちなみに、戦前までここはかつての東北で金を扱う商人・金売吉次(かねうりきちじ)の屋敷跡とされていました。彼は奥州藤原氏だけでなく、源義経とも縁が深かかったらしく、彼の従者であったという堀景光(ほりかげみつ)と同一人物であったという記録もあるほど。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。