登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2017年 |
アスマラは、エリトリアの首都であり、標高2,000m以上にある高原都市。1890年、宗主国であったイタリアによって開発が進められ、1935年以降はイタリア合理主義という独特の建築様式の建物が多く造られるようになりました。現在も20世紀初頭のモダニズム建築が多く並ぶ都市として評価されています。
ここでは、アスマラ : 近代主義的アフリカ都市がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アスマラについて詳しくなること間違いなし!
アスマラ : 近代主義的アフリカ都市とは?
エリトリアの中央部の高原に位置するアスマラは、もともとは小さな村でしたが、1900年にイタリア領のエリトリアの首都となりました。「第2のローマ」にすることを目指し、1893〜1941年までの植民地時代に作られたモダニズム建築が今でも大きく残っています。イタリア合理主義の建築様式で作られた、映画館や商店、銀行、宗教建造物、商業ビル、住宅、ホテルなど、市内各地の施設は保存状態も良好。
第2次世界大戦後は、イギリスの占領時代を経てエチオピア・エリトリア連邦の一部となり、エチオピアの州都となりましたが、1991年には独立して首都となります。しかし、町にはイタリア語で書かれた看板などが今も残り、アフリカにありながらヨーロッパ風の町並みが残る都市に。
そして、アスマラは信号機や道路など、きちんとした計画のもとに設計された都市で、まさに「近代主義的アフリカ都市」と言えるでしょう。
アスマラ : 近代主義的アフリカ都市はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アスマラが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
イタリア植民地時代の建築物が残るにもかかわらず、アスマラは現在のエリトリアの人々のアイデンティティに組み込まれているという点。
登録基準(iv)
アスマラ市内にある建築物は、イタリア合理主義の様式が多く採用されており、20世紀初頭にモダニズム建築がアフリカに適用されたということを証明しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
「近代主義的アフリカ都市」というと分かりづらいですが、アフリカにおいてモダニズム建築が導入されることがなかった段階に、イタリアの指導の下で近代都市が作られたという点が評価されています。そして、その景観が今でも残っていて、エルトリアの人々も心の拠り所になっているということも特徴。
しかし、エルトリアっていう国は、なかなかイメージできないと思いますが、実はビール大国でアスマラ・ラガー・ビールはみんなが大好きな人気銘柄。「アスマラ・ブルワリーFC」というサッカーチームがあるくらいなのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。