登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 2000年 |
アゼルバイジャンの首都バクーは、旧石器時代から人が住んでいたとされるほど歴史の古い街で、ペルシャ(イラン)、オスマン帝国、ロシアなど、さまざまな文化の影響を受けた都市。12世紀に建造された城壁内には乙女の塔やアゼルバイジャン建築の最高傑作とされるシルヴァンシャー宮殿など、美しい建築物が今も残っています。
ここでは、城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、バクーについて詳しくなること間違いなし!
城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔とは?
バクーはアゼルバイジャンの首都で、カスピ海の西岸にあるアプシェロン半島の南岸に位置する港町。ここは旧石器時代から人が住んでいたと推定されるほど古くから交通の要衝として栄え、9〜10世紀には油田の採掘が行われていました。
もともとはゾロアスター教徒が多く、イスラム教徒への改宗は遅かったため、今でもゾロアスター教の寺院が残ります。町には12世紀に築かれた城壁が現存していて、城壁内(イチェリ・シェヒル)にはモスクやゾロアスター教寺院などが点在。内部には、見張り台として建造された乙女の塔やアゼルバイジャン建築の最高傑作とされるシルヴァンシャー宮殿など、繁栄した当時が分かる建築物が現存しています。
16世紀まではアルヴァニア土着のシルヴァン朝(861年〜1538年)が支配していたものの、17世紀から隣国のイランにあったサファヴィー朝や北方のロシアに編入されていくと、町はそれぞれの文化を吸収し、ハマムやモスク、隊商宿、18〜20世紀に築かれた邸宅など、独特の景観を持つ旧市街が形成されていきました。
イチェリ・シェヒルは、今でも活気に満ちたエリアで、近くにはフレイムタワーという炎をイメージした近代的なビルがあったりと、新旧入り交じった独特の景観を持ちます。
危機遺産(危機にさらされている世界遺産リスト)
2000年に発生した大地震の影響で、危機遺産に登録されてこともありますが、改修が終わると2009年に危機遺産リストから外れました。
登録されている主な構成資産
乙女の塔
11〜12世紀に建造された塔。高さは28mで、見張り台として使用されていました。なぜ「乙女の塔」と呼ばれるかは、さまざまな伝説があって定説がありません。最も有名なものは塔の聖火から少女が出てきて町を救ったことからそのように呼ぶようになったとされています。8階建ての塔は紙幣のデザインにも使用されており、アゼルバイジャンのシンボル的存在。
シルヴァンシャー宮殿
15世紀のシルヴァン朝時代に建設された宮殿。敷地内には、王が住んだ邸宅だけはなく、モスクやミナレット、浴場、王族の霊廟などが点在します。しかし、17世紀以降は使用されなくなり、宮殿は廃墟となりました。現在見られるものは、20世紀に修復されたもの。
有名なディヴァン・ハーネは、八角形にある美しい装飾の建造物であるものの、ここの使用用途は霊廟、会議場、応接間など、さまざまな説があります。
城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
バクーが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
バクーの城壁都市は、ゾロアスター教とペルシャ、アラブ、オスマン帝国、ロシアなど、さまざまな文化が融合することにより、独特の町並みが形成されているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
古くから交通の要衝であったバクーは、大国に挟まれていたため、さまざまな文化や宗教などが入り混じり、それが現在のバクーの建築物に大いに反映されているという点で評価。
ちなみに、アゼルバイジャンの名前の由来は、ペルシャ語で「Azar(火)」から由来するという説もあり、火とは切っても切れない関係にあるのです。旧市街の裏側に作られた3棟の巨大なタワーは、フレームタワーと名付けられました。夜になると赤くライトアップされ、ゆらゆらと煌めく姿はまさに「炎」。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。