登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2008年 |
首都ベルリンには、20世紀前半のヴァイマール共和国時代に建造された6つの公共集合住宅があり、世界遺産に登録されています。これらは1910〜1933年にモダニズム建築家のブルーノ・タウトをはじめ、当時の代表的な建築家が設計や建築を担当。集合住宅は低所得者に向け、快適な住宅として新しい素材やデザインなどが採用されていました。
ここではベルリンのモダニズム集合住宅群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ベルリンのモダニズム集合住宅群について詳しくなること間違いなし!
ベルリンのモダニズム集合住宅群とは?
ベルリンは19世紀後半から人口が増加し続けていたということもあり、低所得者たちが暮らすスラムも多く発生し、都市問題に悩まされていました。特にヴァイマール共和国時代(1918年に発足し、1933年に事実上の解体)になると、労働者の住宅は劣悪なものとなっていたため、その対策として「ジードルング」という集合建築が建造され、これらはモダニズムの建築家たちが設計に多く参加していました。
ベルリンにも多くの集合住宅が建造されましたが、その中でも新しい素材やデザインなどを採用された革新的な6つの公共集合住宅が世界遺産として登録されています。実際に建築や建築を担当したのは、バウハウスの初代校長であったヴァルター・グロピウス、マルティン・ヴァグナー、ハンス・シャロウンといった建築家たちでした。その中でも、ガルテンシュタット・ファルケンベルク(1913〜1916年)、シラーパークのジードルング(1924〜1930年)、ベルリン市ブリッツの馬蹄形住宅(1925〜1930年)、カール・レギーンの住宅都市(1928〜1930年)など、4つの集合住宅の設計を担当したのは、近代建築四代巨匠の一人ブルーノ・タウト。
ベルリンのモダニズム集合住宅群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ベルリンのモダニズム集合住宅群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ベルリンの6つのモダニズム集合住宅は、住宅と生活環境の改善という面で住宅の改革に貢献していて、これらの都市計画や建築、庭園の設計は、ドイツ国内外で公共住宅のガイドラインとして機能しているという点。
登録基準(iv)
ベルリンの6つのモダニズム集合住宅は、生活環境を改善するために設計した、新しい都市建築のモデルとなり、モダニズム建築家によって取り入れられた斬新なデザインと技術革新が見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
当時のベルリンは人口増加の問題を抱えていた上に、第一次世界大戦の敗北によって労働者は劣悪な環境で暮らしていたということもあり、これらの集合住宅はモダニズム建築家によって住宅環境を改善するために設計され、これはやがてドイツ国内の公共住宅のガイドラインとなったという点で評価されています。
ちなみに、ブルーノ・タウトは1933〜1936年に日本に滞在していたこともあり、いろいろな建築物を見てめぐりましたが、特に東京の浜松町の桂離宮がお気に入りで、世界にもその存在を広めたほど。しかし、日光東照宮は派手すぎてあまり気に入らなかったとのこと。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。