登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3) |
登録年 | 2006年 |
イラン西部にあるべヒストゥンは、イラン高原とメソポタミアを結ぶ交易路に位置し、ここには先史時代からメディア王国、アケメネス朝、ササン朝、イル・ハン朝時代までの遺構が残っています。その中でも紀元前521年に建造のダレイオス1世が王位に付いたことを記念した碑文とレリーフが有名。
ここではベヒストゥンがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ベヒストゥンについて詳しくなること間違いなし!
ベヒストゥンとは?
イラン西部のケルマンシャー州に位置する遺跡で、ここには60mもの石灰岩の崖に多言語の碑文が刻まれたもの。ここはイラン高原とメソポタミアを結ぶ交易路に位置し、遺跡は先史時代からアケメネス朝(紀元前550〜330年)、それ以降のものも含まれていますが、主に紀元前6世紀から紀元6世紀までの遺構が多いというのが特徴。
その中でも地上100m以上の位置にあり、高さ15m、幅25mの碑文とレリーフが最も有名。これは紀元前531年にダレイオス1世(紀元前522〜486年)が前王を殺し、王と偽って即位した神官・ガウマタ(スメルディス)から王位を奪還して即位したことを示すもの。レリーフでは、ダレイオスが踏みつけている人物こそがガウマタとされています。
レリーフの上部に刻まれた碑文はエラム語、古ペルシャ語、バビロニア語という3つの異なる楔形文字で書かれたもの。これらは19世紀にイギリスの軍人兼研究家であるヘンリー・ローリンソンによって解読されると古代の文明についてさまざまなことが判明するようになり、エジプトで発見されたロゼッタストーンに匹敵するほどに価値が高いもの。
ベヒストゥンはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ベヒストゥンが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ベヒストゥンにあるダレイオス1世のレリーフは、古代エジプトを代表する中東一帯で広まった記念碑建設の伝統を反映していて、アケメネス朝とそれ以降の王朝においてさらに発展していったという点。
登録基準(iii)
ベヒストゥンは、ペルシャとメソポタミアを結ぶ主要ルートの一つで、先史時代に遡る人間の居住地も見られますが、その中でも重要なのはダレイオス1世のレリーフで、19世紀に解読された最初の楔形文字でもあるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ベヒストゥンのダレイオス1世の碑文とレリーフは、古代の中東全体で見られる記念碑建築の伝統が見られ、それ以降に設立された王朝もこれをモチーフにしていったという点で貴重なもの。さらに碑文にある楔形文字は19世紀に解読されると、中東における考古学がさらに発展していったという点でも評価されています。
ちなみに、ダレイオス1世は王となったものの、前王の子供ではなく、2代目の王であるカンビュセス2世の槍持ちという身分から成り上がった人物。そして、カンピゥセス2世の兄弟であるスメルディス(ガウマタ)が偽物であったのに即位したことから、ダレイオスが彼を殺害し、即位して帝国を引き継いだとされますが…このあたりはダレイオスに都合よく捏造されたという説もあり、少し怪しいところ。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。