アルバニアの世界遺産「ブトリント」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3)
登録年1992年(1999年拡大)

アルバニア南部にあるブトリントの考古遺跡は、先史時代から人が住んでいて、ギリシャの植民都市になると、その後は共和制ローマやビザンツ帝国、ヴェネツィア、オスマン帝国など、さまざまな勢力に支配された地。現在でも円形劇場や医療の神・アスクレピオスを祀る神殿、バシリカ式の聖堂など、各時代の遺構が見られます。

ここではブトリントがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ブトリントについて詳しくなること間違いなし!

目次

ブトリントとは?

ブトリント
画像素材:shutterstock

アルバニア南部のリゾート地・サランダから南へ約40kmにある遺跡。ここは地中海の歴史の縮図ともいうべき場所で、集落としての起源は紀元前5万年にも遡るというほど。少なくとも紀元前8世紀頃にはギリシャの植民都市となり、紀元前4世紀ころは城壁に囲まれた都市となり、円形劇場や医療の神・アスクレピオスを祀る神殿が築かれました。

ブトリント
画像素材:shutterstock

紀元前2世紀になるとローマの支配下となり、街は湿地帯を拡大し、競技場や公共浴場、水道橋などが建造されていきます。ローマ帝国が衰退すると、初期キリスト教関連の建造物が作られ、特にバシリカ式の聖堂や洗礼室は、当時は世界最大級であったというほど。9世紀にはビザンツ帝国の支配下となると再び再興され、現在でもその繁栄を眺めることができます。

14世紀には南イタリアのアンジュー朝、海洋国家であったヴェネツィアの支配下を受け、18世紀にはオスマン帝国の支配下になったりと、他国のさまざまな勢力によってここは征服されていきますが、20世紀初頭にアルバニアが独立したころには既に街は放棄されて遺構となっていました。

ブトリントはどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ブトリント
画像素材:shutterstock

ブトリントが評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
ブトリントは、自然環境が変化していったことで、やがて都市の放棄に繋がり、その結果、古代・中世の文明の貴重な資料ともなる保存状態の良い遺跡が残ったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ブトリントは20世紀初頭には既に放棄されたため、古代ギリシャやローマの都市遺跡、そして、ビザンツ帝国時代の聖堂や礼拝堂の跡地も残っていて、アルバニアの古代と中世の歴史が分かるという点で貴重であるということ。

ちなみに、ブトリントはトロイ(現在のトルコ北西部にあったとされる都市)の王子であったヘレノスが、トロイ陥落後にこの地を訪れ、街を築いたという伝説が残っています。ローマ時代の叙事詩『アエネーイス』でも、トロイの英雄であるアエネーイスが放浪した際にこの街を訪れているので、何かしら関係があったのかもしれませんね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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