メキシコの世界遺産「カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロ」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年2010年

カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロは、直訳すると「内陸部の王の道」という意味で、スペインの植民地時代に建造された王立の道路で、ここでは銀山で産出された銀や銀の精製で使用される水銀などを運んでいました。王の道は、首都メキシコ・シティからアメリカのニューメキシコ州のサン・フアン・プエブロまでの約2600kmを繋いでいて、その中でも約1400kmもの範囲にある55の遺跡と5つの既存の世界遺産で構成されています。

ここではカミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロについて詳しくなること間違いなし!

目次

カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロとは?

カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロ
画像素材:shutterstock

メキシコの内陸部を縦断するカミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロは、スペイン帝国による王立の道路で、ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)の首都メキシコ・シティから、現在のアメリカ合衆国ニューメキシコ州のサン・フアン・プエブロまでの約2600kmの道を結んでいました。これらは16世紀後半から19世紀にかけて利用され、スペインによって商業と鉱業の発展を目的にしたもの。これによりメキシコ北部の領土が開発され、道路沿いに労働者のための町が設立され、要塞と農園、教会などが築かれていきました。

この道路は「銀の道」とも呼ばれ、銀山で産出された銀や、銀を精製するためにヨーロッパから輸入した水銀が運ばれていき、その豊富な銀はスペインを含むヨーロッパの経済発展とインフレの時代をもたらしました。そして、スペインと先住民の文化が融合した多民族の街も多く作られるようになり、建築物や装飾などを含む文化の交流が進んでいきました。

サン・ミゲルの要塞都市
画像素材:shutterstock

世界遺産としては、メキシコ国内の約1400kmもの区間の鉱山や聖堂、修道院、道路、橋、墓地など、55の遺跡が登録。それに加え、メキシコシティ歴史地区、ケレタロ歴史地区、サン・ミゲルの要塞都市とヘスス・ナサレノ・デ・アトトニルコの聖地、グアナフアト歴史地区と鉱山、サカテカス歴史地区と、既に個別で世界遺産に登録された遺産も重複して登録されているのも特徴です。

カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロはどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ラゴス・デ・モレノ/カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロ
画像素材:shutterstock

カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロは、スペイン王室とアメリカ大陸の北部の領土を結ぶ重要なルートの一つで、南方は銀山や農業、軍事、伝道、各地を管理するために設立された行政機関などが集まり、建造物は環境や素材に合わせて調和されていて、技術的に文化や宗教における交流が見られるという点。

登録基準(iv)
建築物や建築技術など、カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロの南方の遺跡は、スペイン植民地による銀の産出とそれに関連した地方都市の景観を含めて、人類の歴史における重要な段階を示すという点。

世界遺産マニアの結論と感想

カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロは、かつてのスペインが築いたヌエバ・エスパーニャの中で、商業や鉱業を発展させるために作られた道で、結果的に先住民との文化や技術が交流していったことで、都市や景観も変わっていったという点で評価されています。

ちなみに、ヌエバ・エスパーニャは新大陸だけでなく、フィリピンまで含まれていた広大な帝国で、実はリゾート地としてよく知られるグアムやサイパンもスペイン領でした。実はグアムですら、1898年からアメリカ領なので割とスペイン圏であった時代のほうが長いのです。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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