登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 1984年 |
ドイツ西部にあるブリュールのアウグストゥスブルク城とファルケンルストは、当時この地域を治めるケルン大司教だったクレメンス・アウグストによって18世紀に建造された豪華な宮殿であり、当時のドイツ・ロココ様式の最高傑作の一つです。
ここではブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルストがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アウグストゥスブルク城とファルケンルストについて詳しくなること間違いなし!
ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルストとは?
ドイツ西部にある商業都市ケルンは、周囲の地域を含めてケルン司教が治めるという独特のエリアであり、ケルン大司教は神聖ローマ皇帝の選帝侯(皇帝の選挙権を持つ諸侯)を兼ねていて、莫大な経済力を持っていました。
18世紀にバイエルン侯であったマクシミリアン2世の息子であるクレメンス・アウグスト(1700~1761年)がケルン司教になると、ケルン郊外のブリュールに存在していた中世の古城の再建を建築家フランソワ・ド・キュヴィイエに依頼し、豪華な宮殿と郊外の森の中にある狩猟小屋ファルケンルストが設計されました。
どちらもクレメンス・アウグストの財力を示したもので、キュヴィイエ以外にも、バルタザール・ノイマンによって華やかな階段室が建造されたり、ドミニク・ジラールによってバロック様式の庭園も造園されたりと、ヨーロッパから芸術家が集められ、40年の歳月もかけて壮麗な宮殿が完成。これはドイツ・ロココ様式の最高傑作の一つとなりました。
その後、19世紀末にドイツ皇帝によって宮殿とされ、20世紀末までは国賓をもてなすホールとして利用されたりと、時代によってさまざまな目的で使用されました。
ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルストはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アウグストゥスブルク城とファルケンルストが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
アウグストゥスブルク城とファルケンルストは、ドイツにおけるロココ様式の傑作であり、ここは1世紀以上に渡って宮殿建築のモデルともなったという点。
登録基準(iv)
アウグストゥスブルク城とファルケンルストは、バイエルン候の息子であったクレメンス・アウグストが築いたものであり、18世紀のヨーロッパにおける大国の王子の邸宅の顕著な例であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
アウグストゥスブルク城とファルケンルストは、バイエルン候の息子であったクレメンス・アウグストが築いただけあり、贅の限りを尽くした建造物。数々の芸術家によって仕上げられた城と狩猟小屋は、18世紀ドイツのロココ様式の傑作の一つであるという点で評価されています。
ちなみに、これだけ立派な宮殿を建てたクレメンス・アウグストは、ケルン司教になったのもある意味、親のコネクションであり、若いうちから苦労を知らなかったためか、割と自分勝手なところもあったりと、評判がよくない人物。一応「司教」であるのに女性と遊んだりと、信頼度も薄かったのですが…
彼の死後、アウグストゥスブルク城がまさかの世界遺産登録。そんなことから彼はドイツの芸術に対してはだいぶ貢献していたという点で今では評価されるように。後世になって何が評価されるかわからないもんですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。