登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (6) |
登録年 | 2009年 |
カーボベルデは、アフリカ本土から西へ約375kmの距離にある島国。最大の島・サンティアゴ島にあるリベイラ・グランデは18世紀後半に「シダーデ・ヴェーリャ(古い都市)」と名付けられた、ヨーロッパ初の熱帯地域における植民都市でした。さまざまな文化が交差したクレオール文化が見られる都市には、マヌエル様式の「晒し台」などがあることで有名。
ここではリベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シダーデ・ヴェーリャについて詳しくなること間違いなし!
リベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャとは?

カーボベルデは、西アフリカ沖にある15もの火山から構成される島国。その中でも最大の島・サンティアゴ島の南部にあるシダーデ・ヴェーリャは、18世紀後半まではリベイラ・グランデと呼ばれていて、15世紀にポルトガルによって建造されたヨーロッパ初の熱帯地方の植民都市です。ここはヨーロッパとアフリカ、アメリカを結ぶ航路上にあり、16〜17世紀にポルトガルの海外植民地を管理するための重要な港でもありました。街は奴隷交易が行われた場所であり、彼らの文化と西洋の文化が交流し、クレオール文化が発展した都市でもあります。
しかし、ここは交易ルートの重要な中継地であったため、海賊からしばし狙われることが多く、17世紀にイギリスの海賊フランシス・ドレークによって破壊。現在の街は18世紀に再建されたものではありますが、16世紀に建造された教会や要塞、広場など、当時の建造物の一部はまだ残っています。その中でも16世紀建造のサン・フェリペ要塞にある「晒し台」はポルトガルの大航海時代に流行したマヌエル様式で建造され、奴隷を罰するために作られた柱として有名。
リベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャはどんな理由で世界遺産に登録されているの?



シダーデ・ヴェーリャが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
シダーデ・ヴェーリャと周囲の農業景観は、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカで取引をしていた三角貿易の繁栄を示すもので、ここではさまざまな大陸の植物が普及したという役割があったということ。
登録基準(iii)
シダーデ・ヴェーリャは、3世紀に渡る大西洋の奴隷交易の誕生と発展を示し、特に奴隷交易が行われたため、アフリカとヨーロッパの文化が融合した、最初期のクレオール文化が生まれたということ。
登録基準(vi)
シダーデ・ヴェーリャは、アフリカの人々の奴隷の誕生と歴史を示し、彼ら経済や文化に影響していて、最初期のクレオール社会の生まれた地であり、それは植民地各地で、芸術や信仰、料理など、さまざまな分野に影響を与えたという点。
世界遺産マニアの結論と感想
シダーデ・ヴェーリャは、奴隷交易で栄えた都市で、ここはヨーロッパ、アフリカ、アメリカという大陸間の交易を示し、奴隷とした運ばれてきたアフリカ系の民族との交流によって生まれたクレオール文化が繁栄し、それは世界各地の植民都市に影響を与えたという点で評価されています。
ちなみに、カーボベルデは「緑の岬」という意味で、セネガルにあるアフリカ大陸最先端の岬から名付けられたので、本来は大陸のギニアビサウと合わせて独立する予定でしたが、独立するまでのバタバタがあり、現在でもカーボベルデとギニアビサウは別の国となっています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。