登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (6) |
登録年 | 1998年 |
ヴァイマールはドイツ中央部のテューリンゲン州にあり、16世紀からザクセン・ヴァイマール公国の都だった場所。ここは文豪ゲーテが暮らした街で、18世紀末から19世紀初頭まで「ヴァイマール古典主義」と呼ばれる作家を輩出した地でもあります。
ここでは古典主義の都ヴァイマルがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヴァイマルについて詳しくなること間違いなし!
古典主義の都ヴァイマルとは?
テューリンゲン州の中央部に位置する古都ヴァイマル。1776年に当時のヴァイマル公だったカール・アウグストが既に有名人でもあった文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749〜1832年)を招聘したことによって、ヴァイマールの古典主義が始まりました。
彼は宰相として、鉱山の再開発やインフラの整備、教育機関の設置などを行いました。やがて友人であった劇作家のシラー(1759~1805年)やゲーテの師匠的存在であったヨハン・ゴットフリート・ヘルダー (1744〜1803年)らもここに住み、ヴァイマールは芸術サロンのようになっていくのです。
世界遺産としては、市内に残る12の歴史的建造物が登録。ゲーテやシラー、ヘルガーが住んだ家や、図書館、城、教会などが登録。
登録されている主な構成遺産
ゲーテの家
街の中心部にあるゲーテの2番目の家で、晩年の20年ほどを過ごした場所でもあります。ここはイタリアを旅行して感銘したゲーテが自ら設計。古代ギリシャ・ローマの彫像を飾った部屋に壁画を加え、ルネサンスの要素も加えています。
シラーの家
ゲーテと並ぶ、ドイツ古典主義の代表する人物であるのが、フリードリヒ・フォン・シラー。1794年にゲーテと再会すると意気投合して、彼は1799年にヴァイマールに移り住みました。1802年からこの家に移り住んだものの、1805年にはここで永眠。ここで彼の代表作である『ヴィルヘルム・テル』が制作されたことで有名。
ヘルダー教会(聖ピーター&パウロ教会)
街の中心部にある教会は、宮殿や学校なども併設されている施設。現在の建物は15〜16世紀に建造されたゴシック様式の教会で、宗教改革の中心人物の一人マルティン・ルターが説教を行ったことで有名。18世紀後半〜19世紀初期までヨハン・ゴットフリート・ヘルダーがここで働いていて、彼はここで埋葬されたことから、「ヘルダー教会」と呼ばれるように。
ガルテンハウス(庭園の家)
街の南東にあるイルム湖畔公園内にある小さくてシンプルな家は、カール・アウグストが用意した、ゲーテが最初に住んだ家。しかし、その狭さゆえに書物や美術品が保管できず、旧市街の家に引っ越しをすることになるのです。
古典主義の都ヴァイマルはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ヴァイマルが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ヴァイマールの街と周辺の建造物や庭園はどれも芸術的で、ヴァイマールの古典主義が花開いたということを証明するものであるということ。
登録基準(vi)
ヴァイマール公によってゲーテが招聘されると、シラー、ヘルダーなど、ドイツの著名な作家や思想家な集まり、当時のヨーロッパの文化の中心地でもあったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ヴァイマールは、ゲーテが宰相として招聘されると、彼によってヴァイマールにはドイツの著名な作家や思想家が集まり、ドイツ古典主義が花開いた地として、ヨーロッパの文化の中心都市になったという点で評価されています。
ちなみに、フランクフルト・アム・マインにはゲーテ賞と呼ばれる文化賞があり、3年に一度、ゲーテの誕生日である8月28日で受賞が行われるもの。別にこれは文学だけにこだわらず、映画や舞台関係者、さらにはジャーナリストや医者、音楽家まで受賞しています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。