登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (3), (4) |
登録年 | 2004年 |
北朝鮮の首都・平壌周辺には、かつて朝鮮半島や中国北東部を支配していた高句麗(紀元前1世紀〜668年)中期・後期に作られた63の古墳が残っています。これらはおもに王族や貴族の古墳で、内部には美しい壁画が存在し、日本の高松塚古墳などと関連性が見られるもの。
ここでは高句麗古墳群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、高句麗古墳群について詳しくなること間違いなし!
高句麗古墳群とは?
高句麗とは、最盛期は朝鮮半島や中国北東部を支配していた王朝で、今では中国や北朝鮮にまたがって1万を越える、石や土で覆われた古墳が点在。その中でも北朝鮮に残る63の古墳は、4〜7世紀に建造された高句麗の中期・後期にあたるもので、そのうち16基の古墳の内部では美しい壁画が見られます。
初期に建造された石積塚とは異なり、これらは横穴式石室が設けられていて、埋葬室には仏教や狩猟、女性などさまざまで当時の高句麗に住む人々の生活や文化が垣間見られるユニークなもの。そして、青龍、白虎、玄武、朱雀が描かれた四神図が描かれた古墳もあり、これは日本の奈良に残る高松塚古墳やキトラ古墳の壁画と共通点が見られ、高句麗が東アジアの文化に影響を与えていたと考えられています。
高句麗古墳群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
高句麗古墳群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
高句麗古墳群の壁画は、高句麗の文化と歴史を伝える傑作であるということ。
登録基準(ii)
高句麗古墳群は、当時の埋葬の習慣を残し、これらが日本を含む東アジアの文化に影響を与えていたという点。
登録基準(iii)
高句麗古墳群は、壁画から当時の高句麗の文化や埋葬の習慣、日常生活、宗教などが分かるということ。
登録基準(iv)
高句麗古墳群は、東アジアにおける埋葬の類型学において重要なものであるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
高句麗はなかなかイメージが沸かないと思いますが、彼らは中国や日本とも戦争を繰り返すほどの大国で、古墳からは高句麗の当時の文化や埋葬、宗教観などが分かるもの。同時代の倭国の古墳にも似たような壁画のデザインがあることから、東アジアの文化に影響を与えていたということが分かるという点で評価されています。そして、東アジアの埋葬の類型学においても重要なものであるというのもポイント。
ちなみに、四神図は東西南北にそれぞれ霊獣が存在するという中国の神話から由来するものですが、他にも中央に麒麟や黄竜が存在するという「五神」という思想もあって、麒麟や黄竜は四神のリーダー的存在であるという存在であった様子。とはいえ、日本では圧倒的に四神で出てくることが多いので、あまり知名度はないのですが。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。