登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (5) |
登録年 | 2024年 |
サウジアラビア南部の砂漠地帯にあるアル=ファウは、かつてこの地域に存在したキンダ王国(フジュル朝、450年頃〜550年頃)の首都であった場所。ここは中東各地に乳香を輸送するキャラバン隊が訪れる交易都市で、農業が可能なオアシスでした。そして、イスラム誕生以前の神であるカールをまつる場所であり、宮殿のフレスコ画やさまざまな古代文字の碑文が発見されたりと、貴重な遺跡です。
ここではアル=ファウ考古地域の文化的景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アル=ファウ考古地域について詳しくなること間違いなし!
アル=ファウ考古地域の文化的景観とは?
アラビア半島の中央部に位置し、世界最大級の砂漠・ルブアルハリのすぐそばに位置するオアシス都市遺跡。古代の交易において、アラビア半島南部でのみ収穫された乳香は非常に貴重で、半島を南北に横断するキャラバンの交易路があり、アル=ファウはこのルートの経由地でもありました。ここは紀元前4世紀に半島南部で暮らしていたキンダ族によって開かれたキンダ王国が存在し、その首都となった場所。
アル=ファウはアラビアでも最大規模の街で、フレスコ画が発見された、貴族の家とされる邸宅や、イスラム化以前の神であったカールをまつる神殿の跡などがあり、交易都市である一方、聖職者も暮らす地でもありました。宗教儀式も行われていて、敷地内には聖域や墓地なども点在。井戸は農業を行うために存在し、都市全体に水路があったとされます。しかし、王家の分裂により王国は6世紀に崩壊し、廃墟になりました。
1940年代に石油会社の従業員により遺跡は発見されます。1970年代になると調査が開始され、住宅街と神殿・墓地などの遺構が発見されました。
アル=ファウ考古地域の文化的景観はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アル=ファウ考古地域が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
アル=ファウは、水が豊富なキャラバンの経由地であり、交易を行う部族によって築かれたため、イスラム以前の多面的な都市が見られます。ここで発見された墓の碑文や建築物などからは、アラビア半島の南部から北西部までのナバテア人やヘレニズムなど、時間をかけて人類の価値観が交流したことを示し、宮殿のフレスコ画や豪華な装飾の陶器・ガラス、動物の像にいたるまで高度に発展した芸術品が見られるという点。
登録基準(v)
この地は世界最大の砂漠の一つで、人類によって過酷な環境の一つ。これらの遺構は先史時代以降の人間社会の発展が文化の中に見られます。岩絵や彫刻は人間と自然をモチーフにしていて、動物の狩猟、牛の繁殖、ラクダの家畜など、人がこの地で暮らしてきた手段を証明するもの。遺跡は人類が定住するために水を利用し、食料を確保するための革新的な方法を生み出したということも示しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
アル=ファウは、乳香の交易で栄えたキンダ王国の首都であり、都市遺跡には砂漠という厳しい環境に暮らすための方法が多く見られ、建築物や文化、芸術など、当時のオリエント文明と交流し、彼ら独自の分化を形成してきたということを証明しているという点で評価されています。
ちなみに、アラブ人という概念は日本語だけのもので、基本的にはアラビア語を話す人々「アラビア人」を指しています。イスラム以前のアラビアの詩人はシャイールと呼ばれる占い師や魔術師のような役割を持ち、シャイール同士で即興で詩をどれだけ上手に詠めるかという競争を、実際の戦争の代わりにしていたというだけに、重要なポジションだったそうな。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。