登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(3) |
登録年 | 1997年 |
チュニジア北西部の高台に位置するドゥッガの遺跡。ここは紀元前2世紀に築かれた、チュニジア北部とアルジェリア北東部に存在したヌミディア王国の都市で、その後ローマ帝国に編入されたことで、植民都市時代の遺構が今も残ります。現在もベルベル系のヌミディア人の霊廟なども残っているという点もユニーク。
ここではドゥッガ/トゥッガがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ドゥッガ/トゥッガについて詳しくなること間違いなし!
ドゥッガ/トゥッガとは?
ドゥッガ/トゥッガは、チュニジア北西部にある標高571mの丘の上にあり、紀元前2世紀ころにヌミディア人によって築かれた都市。ヌミディア人はヌミディア王国(紀元前202〜46年)を築いたベルベル系の民族で、ここは東側の中心都市となったものの、当時の遺構は軍長官アテバンの霊廟が残る程度。
紀元前1世紀にローマに征服され、ヌミディア属州となると、碑文からはヌミディアやポエニ(現在のチュニス)、ギリシャ、ローマなど、異なる文化の交流が見らられるようになります。ローマ時代の遺構は現在も残っていて、公共広場や、キャピトル神殿を中心とした神殿、古代ローマの神々を祀る神殿、凱旋門、劇場などが点在し、紀元3世紀頃の繁栄した姿を現在も残しているのが特徴。
ドゥッガ/トゥッガはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ドゥッガ/トゥッガが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ドゥッガは、紀元前2000年以上前から人が住んでいたとされるほどに古い集落で、遺跡からは都市の発展が見られ、ヌミディア人の都市がローマの都市計画に対応したという例であるということ。
登録基準(iii)
遺跡からはギリシャ語やポエニ語、ギリシャ語、ラテン語などの碑文が発見され、ヌミディア人の社会構造なども含めて、紀元前2世紀から紀元2世紀までの都市の発展が見られ、ローマ帝国の属州としての都市の様子を現在に残すものであるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ドゥッガは、かつてこのエリアを支配した広大な王国・ヌミディア王国時代から繁栄した都市で、ほぼローマ属州時代の遺構しか残っていないものの、碑文などからヌミディア人の暮らしからローマ時代まで、都市の発展が見られるという点で評価されています。
ちなみに、ヌミディア人は現在も北アフリカに住むベルベル人のルーツ的存在だとされています。今ではモロッコに多いイメージですが、エジプト西部から南はマリやニジェールまで広範囲で暮らしていて、サッカー選手のジネディーヌ・ジダン氏などのルーツはアルジェリアのベルベル人でもあることでも有名ですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。