登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 1994年(2021年拡張) |
メキシコ中央部にあるポポカテペトル山周辺には、16世紀にヨーロッパから派遣されたフランシスコ会、ドミニコ会、アウグスティヌス会などの修道士によって建造された修道院が点在します。これらは先住民をキリスト教に改宗させるという目的があり、屋外で儀式が行われるようなパティオ構造になっていて、新たな建築様式が見られるもの。
ここではポポカテペトル山腹の16世紀初頭の修道院群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ポポカテペトル山腹の修道院群について詳しくなること間違いなし!
ポポカテペトル山腹の16世紀初頭の修道院群とは?
メキシコ中央部にあるポポカテペトル山の一帯では、アステカ帝国を滅ぼしたスペインによって、16世紀になると植民地化の一貫であり、先住民への伝道として修道院が建造されていきます。1994年には、モレロス州のアトラトラウカン、クエルナバカ、ウエヤパン、テテラ・デル・ボルカン、ヤウテペク、オクイトゥコ、テポストラン、トラヤカパン、トトラパン、イェカピクストラ、サクアルパン・デ・アミルパス、プエブラ州のカルパン、ウエホトシンゴ、トチミルコの修道院が登録。そして、2021年にはトラスカラ州のトラスカラ・デ・シコテンカトルの修道院も追加で登録されました。
修道院は先住民の部族の集落に、ヨーロッパから訪れたフランシスコ会、ドミニコ会、アウグスティヌス会(13世紀半ばに成立した修道会)などの修道士によって建造されました。これらは、この地域で急速に広がった建築様式で作られ、敷地内には回廊のある中庭やパティオが加えられ、これは屋外で宗教儀式を行うという先住民を考慮し、キリスト教の儀式に慣れるようにするという独特なもの。現在は博物館となっている施設もあり、内部ではフレスコ画や宗教画などが今でも見られます。
ポポカテペトル山腹の16世紀初頭の修道院群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ポポカテペトル山腹の修道院群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ポポカテペトル山腹の修道院群は広範囲に独自の建築様式に影響を与え、16世紀にメキシコの中央部や南東部だけでなく、18世紀には北米にまで植民地化と伝道が拡大していき、これは現在のアメリカ合衆国まで達し、「ミッション」という伝道所にまで発展したという点。
登録基準(iv)
ポポカテペトル山腹の修道院群は、巨大な領土の再編成と新しい社会・文化の導入のための施設として機能したという、独特の建築と都市構造を示すものであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ポポカテペトル山腹に点在する修道院は、スペインによる征服の後、この地を植民地にするための伝道の役割を持ち、これによりメキシコの社会や都市の構造も変化し、この修道院の機能はメキシコだけでなく、アメリカ合衆国の伝道所として発展していったという点で評価されています。
ちなみに、これらはメキシコでは修道院として機能したものですが、北米へ伝道する中で、その役割を越えて先住民たちが暮らす大型施設である「ミッション」となり、これらはテキサス州南部のサンアントニオでは世界遺産になっています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。