登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 2000年 |
ハンガリー南部にあるペーチには、ローマ時代に建造された、キリスト教徒たちの墓所があり、地上には礼拝堂や霊廟、地下にはカタコンベという埋葬室が残っています。カタコンベは、聖書をモチーフにした壁画で飾られていて、芸術としての価値が高いもの。
ここではペーチ(ソピアナエ)の初期キリスト教墓所がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、初期キリスト教墓所について詳しくなること間違いなし!
ペーチ(ソピアナエ)の初期キリスト教墓所とは?
ローマ帝国時代、ハンガリーの大部分はパンノニアと呼ばれた属州となっていて、ペーチがあった場所はソピアナエという名の都市でした。ここは軍事上の要衝の地であり、交易で栄え、これらの地下墓地は4世紀頃に建造されたもの。世界遺産としては1782年に発見された16箇所の地下墓地が登録。
地上には埋葬室と礼拝堂があり、地下にはカタコンベと呼ばれる埋葬室と祈りの場を兼ねた墓所が多く残っています。特にアダムとイブなどの聖書をテーマにした壁画は芸術としての価値が高く、ローマ帝国の北部や西部において最大規模の地下墓所でした。ここは4世紀頃のローマ帝国の衰退期から8世紀のフランク王国(現在のフランスを中心とした大国)に征服されるまで使用されていて、キリスト教が国教になった後も長期的に使用されていたという貴重な例です。
ペーチ(ソピアナエ)の初期キリスト教墓所はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
初期キリスト教墓所が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ペーチの初期キリスト教墓所は、ローマ帝国後期のキリスト教徒たちの共同体の連帯と深い信仰を示すもの。
登録基準(iv)
ペーチの初期キリスト教墓所は、ローマ帝国の北部・西部の属州で発展したキリスト教関連の芸術と建築物を示すということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ペーチはかつてソピアナエと呼ばれたローマ帝国時代の都市で、ここはキリスト教が国教になった後も、信徒たちによって地下墓所は利用され続けたもので、属州ならではのキリスト教美術と建築物が見られるという点で評価されています。
ちなみに、カタコンベはイタリアのパレルモのものが有名ですが、ローマやフランスのパリ、オーストリアのウィーン、エジプトのアレキサンドリア、ペルーのリマまで、キリスト教にまつわる都市であればたくさん存在したもの。大体しゃれこうべが並んでいたりするので、割と不気味ですが…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。